西之産業組合創立と名越孜助頌徳碑

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西之産業組合創立に関する碑

西之産業組合創立と名越孜助頌徳碑
【撮影場所】
鹿児島県南種子町平野西之研修センター
【撮影日時】
2007年7月8日/11時28分

 南種子市街地から門倉岬に向かうこと約10分でこの地に着きます。西之公民館入口付近に記念碑が建てられています。石碑の右に碑文が刻まれています。その碑文は次のとおりです。

 碑文
  西之産業組合創立と
  名越孜助頌徳碑
             河野了謹書

明治時代の末期から大正時代は吾国が近代国に発展して行く時代であった。併し郷土の農村等その影響は間接的で産業経済や生活文化の面には旧態依然たるものが多分に残っていた。部落の人々や学校の子供等悉く素足で道を歩行していた。日常の経済生活の面でも昔の物々交換の時代から新しい貨幣経済に移行したとしても金銭活用の面では生産所得が極めて低く、貧弱な生活を支えるためには高利貸資本の横行もやむを得なかった。この時代名越孜助翁は明治四十年から大正三年に渉る八ヵ年の南種子村長を後輩にゆずり西之に帰った。
時代は新しい社会へと発展しつつある時わが西之の現状は極めて多難が予想されることに翁は深く胸を痛めた。この現状打開のためには相互扶助の精神を結集し農家の経済と生活の向上をめざす産業組合法の趣旨を西之に適用、組合を結成しその運営により農家の生産所得の向上を計ることが唯一の道と確信して設立に立ち上がったのであります。農家所得の向上は農産物の増産とその有利な販売にあり、そのために肥料の購入から集荷販売を組合の運営により果させ、また当時農家の最も苦心した金融の貧弱のため高利資債の対応策であった。この問題も組合の信用事業で解決して行こうと組合運営全般について具体的に説明と指導を各農家に根気強く説得された各農家も翁の誠意の構想が理解され積極的に賛同し茲に西之産業組合の設立が一決したのです。時に大正四年十月のことです。その会員の信頼と協力のもとに着実に向上発展をつづけ希策によって全村一円の農業会に統一合流されたのであります。吾々は郷土の後継者として先輩の方々の地域の生活経済の発展のため微力ながらも立ち上った壮挙に感動し之を後世に伝えたいと母校西野小学校の一角にこの碑を建てる次第です。
          昭和六十一年十二月二十日
                     西之産業組合創立記念碑建立同窓会謹建

 碑文は以上です。文章の中で読み違いがあるかもしれません。ご了承ください。