屋床の平の御新田碑

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御新田に関する碑

屋床の平の御新田碑
【撮影場所】
鹿児島県熊毛郡中種子町油久西之山
【撮影日時】
2012年4月15日(日)/12時48分

 中種子町油久西之山の御新田の池に、この記念碑があります。以前は、これより手前の水田の道端にあったのですが、最近になって移設されています。
 御新田の池といえば、種子島の女殿様だった「松寿院」が土地改良として事業を行ったものです。その記念碑に刻まれている碑文は、次のとおりです。
 なお、「屋床の平の御新田碑」については、中種子町油久にお住まいの元南種子高等学校校長國上明先生からの資料提供で作成しました。

 碑文

 屋床の平の御新田碑

 それ親の志を継ぐは孝の道なり また古き言の葉に財用足りてよろづの志成るともいへり ???松寿院の君はおん幼児よりこの御家に入らせ給ひおひ立たせ給ひしかば この御恩を報い給はんとて 天の戸を明けくれ島のことをのみおん心にかけさせ給ひ 金子三百四十両余り??給ひし???はかなくならせ給ふ折から 宝慈院の君がこのこがねを譲り受けさせ給ひけり このこがねをもて人の為になり後の世に伝はることをなし給ひ?????御霊の御心にもかなひはべらんと 深くおん心をめぐらし給ひけり たとひ千よろづのこがねありとも一日の餓ゑを救うこと能はず 世の宝てふ言の葉五殻に如くはあらじとおぼしめし 田地になしつべきところもがなと????尋ね給ひしに 油久村のうち屋床の平といへるところ宜しき??と聞かせ給ひ これは天の与へと悦び給ひ すなわち時の家老森休兵門 物奉行上妻直蔵 郡奉行諸方善蔵 美座織右衛門 河内覚右衛門 用夫 茎永村の馬場五右衛門 油久村の羽生金助 下村??衛門等に仰せて 慶応三年丁卯七月一九日鍬始めて開?を初めしに 水の便りも障りなく 且つ地????けり 珠にこの??田地少なきところゆゑ かく御新田のおん企て??????男女????手をあて もはや腹つづみを打ち土くれをたたくの思ひを??太いに悦び???こと限りなし 人々力を尽くして相励まし????明治二年巳二月一八日までに全く成就せ???町余り 溜土手 一二間 高さ三間半 築留四年 ??半 横手二百四十一間 樋の長さ二十七間 ?溝二十????用夫六千三百三十人 惣?賃銭壱万三千四百貳拾七文に及びけり 今は苔の下にもさぞよろこび給ふらめ 然れば御霊の御志を継がせ給ひしこと 孝の道にかなひ且つ財用足りてすなはち志成るともいはん かしこき人の力を尽くしても水早蝗?の災をのがるること??神明の冥?にあらずんばとて 新たに水天宮の御社を新田のかたはらに建て 五穀成就なさしめ給へと 四時の祭おこたりなく祈らせ給ふ
 このことの始め終りを石に記して後の世に伝へよとの かしこき仰せを蒙り??かくまでおん心を尽くさせ給ふことを かけまくもかしこき????神もうけ引き給ひ千との春よろづ代の秋もささはりなからんことを こひねがふものな???
   明治二年己巳

 碑文は以上です。?は判読できない文字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。

松寿院についての追記

種子島家第25代久尚の時に松寿院は死去しますが、久珍の妻「宝慈院」が松寿院の遺志を継いで「御新田の池」を完成させています。