鹿児島県立中種子高等学校閉校記念碑

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中種子高等学校閉校に関する碑

鹿児島県立中種子高等学校閉校記念碑
【撮影場所】
鹿児島県熊毛郡中種子町野間伏之前
【撮影日時】
2012年4月15日(日)/15時36分

 平成二十二年三月二日(火)、中種子町の鹿児島県立中種子高等学校で、最後の卒業式と閉校式が行われ、種子島中央高等学校との発展的統廃合に伴い三月末に閉校されました。正門付近の庭に、閉校碑が建立されています。記念碑には、正面に校訓、校歌、校章の由来、閉校の経緯、そして、裏面に沿革が刻まれています。

 鹿児島県立中種子高等学校閉校記念碑

 立志 精進
 敬愛 誠実

   校歌
昭和二十七年制定
     作詞 城之下初男
     作曲 久木原定助

一、南海のみどりの 島に
   黒潮のたゆとうところ
   ここに立つ われらが母校
   開け放つ 文化の窓に
   かがやくは 真理の光
   いざ勢え 中種子高校

二、花ひらく歴史の 窓に
   敬愛の友よるところ
   誓いあう われらが母校
   研修の若きひとみに
   もえさかる 智性のほのお
   いざ奮え 中種子高校

三、うけつぎし 校風ぎよく
   自治の旗はためくところ
   抱負あり われらが母校
   栄光の 明日をめざして
   はばたくはえい智のつばき
   いざ仰げ 中種子高校

  校章の由来
 本校の前身である中種子青年学校時代より校内
一角にあったメキシコ原産の熱帯果樹アボガド
の葉で型どる。アボガドは年中繁り、落葉しない
ため「死んでもペンを放すなの意味が込められ
ている。

  閉校の経緯
 平成十九年二月十六日、鹿児島県教育委員会は
かごしま活力ある高校づくり計画−実施計画−
を策定し、中種子高等学校と南種子高等学校の
二校を再編整備し、普通科と商業科を併置した
総合選択性の新制高校を、平成二十年四月一日に
中種子高等学校の場所に開校することを決定した。
 それにより、平成二十年度から生徒の募集を停
止し、平成十九年度入学生が卒業する平成二十二
年三月末をもって閉校することになった。

      平成二十二年三月二日
           鹿児島県立中種子高等学校
           閉校記念事業実行委員会建立

  沿革

昭和二三・三・一   設立認可(全日制普通課程普通科・
              定時性農業課程農業科・定時制別科
              家庭課程家庭科)
              設置者 中種子町
              校名 鹿児島県中種子高等学校
昭和二三・四・二六  開校式及び第一回入学式挙行
昭和二五・四・一   全日制普通科課程を県立に移管
昭和二七        校歌制定
昭和三一・四・一   全日制普通課程を鹿児島県立中種子
              高等学校と改称
昭和三三・二・五   定時性農業課程・家庭課程を県立に移管
昭和三七・四・一   定時制農業課程の募集を停止
              全日制農業課程畜産科を設置
昭和三八・四・一   定時制家庭課程の募集を停止
              全日制商業課程商業科を設置
昭和四六・四・一   畜産科募集停止
昭和四七・四・一   募集定員は最大の六学級二七十に
              なる
昭和五三・十・一四  創立三十周年記念式典挙行
昭和五五・四・一   過疎と少子化により募集定員
              の減少始まる
昭和六二・四・一   生徒募集定員は最少の普通科二学級
              商業科一学級になる
昭和六二・十・一二  創立四十周年記念式典挙行
平成五・四・一     商業科と情報処理科に再編、一学級
              の募集定員が四十名となる
平成七・四・一     推薦入学制度を採用
平成十・十・三一    創立五十周年記念式典挙行
平成十九・二・一九  鹿児島県教育委員会は「かごしま活
              力ある高校づくり計画−実施計画−」
              において中種子高等学校と南種子高
              等学校の再編整備を決定
平成二十・四・一   生徒募集停止
平成二十・十一・一四 創立六十周年記念式典挙行
平成二二・三・二   第六十回卒業式、閉校式挙行
              卒業生総数一〇、三五三人

 碑文は以上です。