田嶋共有金紀源碑

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豊かになった田島の共有金に関する碑

田嶋共有金紀源碑
【撮影場所】
鹿児島県熊毛郡中種子町南界田島
【撮影日時】
2012年5月5日(土)/9時22分

 中種子町南界田島の農道沿いに、この記念碑があります。現在は、かなり風化して読みにくくなっています。
 なお、「田嶋共有金紀源碑」については、中種子町油久にお住まいの元南種子高等学校校長國上明先生からの資料提供で作成しました。

 碑文

 田嶋共有金紀源碑

田島為我熊毛郡中種子村一小部落先是隷油久村戸数八十余人口過三百余
其俗豪強頗帯侠氣明治十二年地租改正之令下也地主之争起所在民瀞徃々為
黠者所煽動詐稱士士族禄地為平民所固有以謀兼併訴之官訟理不決者殆三稔
士民互為党援視如仇讐闔郷騒然田嶋初為民党既而悟其非翻然改図独立局
外不欲与油久同学遂自創立小学校于其区内而角立之勢益甚油久人以衆脅之
不動遂謂于官脱其所別置一村實明治十五年十一月也十七年父老與油久村協
議割当共有田在田島区内者二町一反以為田島之有而年積収穫以備不慮二十
一年更議売之得金三百九拾余円及附貸之郷人収以薄息至三十三年十二月
積至二千五百三十円視之他部落未嘗如所此豊且富也而戸口亦大滋息矣鳴吁田
嶋人之執義守廉下以為後世子孫計何其厚也抑又非由当時父老撓不屈以図独
立之所致耶然則氣紀其功徳傳之不朽令後人思其所以積而不失所以散勧農奨
学患難相救以不負先人所以愛護郷党之意者固子弟之分也可不思哉今茲十二
月郷人相議欲建石以勒其由来謂予文予与郷人有旧故不敢辞聊録梗概云
   明治三十三年十二月
                                    前田譲蔵     謹撰

 碑文は以上です。

國上先生によれば、碑文の大意は次のようです。

○ 田島は一小部落だが、以前は油久村に属していた。
○ 明治十二年に地租改正がもとで争いが起きる。
○ 油久とともに学習することを好まず、油久小から離れ田島小を創立する。
○ 田島の長老が油久と協議して共有田の一部を田島の所有にした。
○ 年々収穫を積み重ねて、不慮のことに備えた。
○ 明治二十一年に協議してこれを売り、三百九拾余円を得た。それをわずかな利子で村人に貸し与え、明治三十三年には二千五百三十円になった。
○ こうして田島が豊かな共有金を持つことができたのは長老たちの努力によるものである。

というものです。

また、前田譲蔵とは、明治の漢学者で、前田豊山先生を指すといいます。

なお、資料によりますと、
田島小学校=明治十五年油久小から分離する。
南界小学校=明治二十五年に坂井小と田島小が合併する。
屋久津小学校=明治三十二年に阿高磯を編入して南界小分校から独立する。
岩岡小学校=明治四十二年に屋久津小は名称変更する。

以上となっています。