移住百周年記念碑&移住紀念碑

移住記念に関する碑

移住百周年記念碑&移住紀念碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市国上久保田公民館
【撮影日時】
2007年9月9日/9時37分

国上校区の久保田地域は、種子島の最北端の太平洋側にあります。久保田公民館に建てられている記念碑です。左は「移住紀念碑」、右は「移住百周年記念之碑」です。まず、右の記念碑の碑文は、次のように刻まれています。

碑文
 移住百周年記念之碑
      飛躍する久保田住民
明治十六年よりあいつぐ台風は薩摩半島を直撃し農漁民共に言語に絶する困窮に陥り明治十九年十九戸が桑梓の地を離れ永住を求めてこの地に移住し幾多の困難を克服し荒葉を墾き漁を起し生活基盤の確立を切磋琢磨し、漸時安定の緒につき遂に今日の安業楽土、久保田が形成され昇代の民たるを?歌するに至る。幾多の艱難辛苦に耐えひたすら愛郷の志に燃え、今日を招来せし先祖に対し深く敬意と感謝の念を表す。我等この地に生育せる住民は移住百年を興起?迫の契機とし愈々団結協力融和の決意を新たに郷土の大いなる発展を誓うと共に永遠に隆盛無窮たらんことを記念す。住時を追憶し、まことに感慨無量なるを覚えその真情を偲び総力を結集し移住百年の記念碑を建立し、本を尋ね未だ恪しみ報恩友正の志を明らかにし千載に伝えるものなり
          昭和六十一年十月吉日 地区民一同
            移住百周年記念事業委員会
                    委員長
                    委員
                    部落長
                    代理会計
 ※名前は省略しています。

次に、左の移住紀念碑の碑文は次のように刻まれています。

 移住紀念碑
皇紀一千六百歳奉祝移住記念碑
語ニ日物本末有リ事絡始有リト是ヲ不老ニ聞ク吾等ノ先ハ川邊郡西南方村坊之津及ビ泊也家漁猟ヲ業トス常時発没ノ厄ニ動機ノ備無ク単ニ帆楫ニ頼ル故ヲ以テ風浪一起覆没ノ厄ニ遭ニ擧家?盡ヤシモノ尠カラズ人心?々為ニ米ニ安ンゼズ是ニ於テ胥謀リ東南海上四十里許可種子島アリ嘗假泊セリ地形平夷人情順朴也聞ク耕地餘アリテ人煙稀也ト移住農耕ニ従軍セバ如何然レドモ桑梓ノ地ヲ離レ以テ永住ノ地ヲ求ム慎重事ヲ謀ルバシト即人ヲ?シテ先行カシム復命シテ曰土肥水甘庵?百家ヲ容ルベシト?ニ於テ結束程ニ上ル實ニ明治十九年戸数十九也即国上ニ至リ長老日高菊之助落合長次郎ニ君ニ範リ萬事ヲ托スニ君性仁?提撕指導先久保田ノ地ヲ買収セシム即艸?ヲ開キ荒蕪ヲ墾キ合厩ヲ建ツ朞年ニシテ諸般緒ニ着キ衆情始メテ安シ?来五十餘年今ヤ戸二十八ヲ算シ仰養俯育冠婚葬祭ノ資餘裕有リト讀フニ非ザルモ敢テ糊口ニ窮セズ安業楽土泰平ヲ謳歌シ昇代ノ民タルヲ得児フ是一ニ諸先人及ニ君ノ恵賜餘澤ト謂フ可キ也即碑ヲ建テ本ヲ?テ末ヲ恪シミ以テ報本反正ノ志ヲ明ニシ後世ヲシテ始ヲ思ヒ以テ有終ノ美ヲ済サシメントス      撰文 遠藤字孝
   明治十九年移住者 (四十七名)
                  謹書 大野明
     昭和十六年四月二一日竣工                  石工 竹内駒助

碑文は以上です。文章の中で?は読めない字、或いは変換不能の字です。なお、文字によっては読み違いがあるかもしれません。

移住紀念碑

写真は、移住紀念碑です。皇紀一千六百歳奉祝として建立されたものです。明治19年坊津町から47名移住したことが刻まれています。

移住百周年記念碑

写真は、移住百周年記念碑です。昭和61年に100周年を迎え建立されたものです。

移住百周年記念碑の碑文を刻んだ碑

移住百周年記念碑の碑文を刻んだ碑です。明治16年に薩摩半島を襲った台風で壊滅的な被害を受けて移住することになったことを刻んでいます。

2014.3.7〜