西村天囚先生誕生之地

西村天囚先生誕生に関する碑

西村天囚先生誕生之地
【撮影場所】
鹿児島県西之表市種子島開発総合センター
【撮影日時】
2006年10月7日/11時45分

 西之表市の鉄砲館でお馴染みの種子島開発総合センターの裏庭の片隅にこの記念碑が建てられています。鉄砲伝来で有名な、明国船に乗っていた南蛮人と筆談した西村織部之丞の子孫に当たる方です。記念碑の右前に、「西村天囚先生略年譜」があり、詳しく説明が書かれています。簡単に説明すると、
本名は西村時彦で、慶応元年此の地で生まれ、明治十五年、東京帝国大学文学部へ入学するが、制度改革によりその後退学。明治二十二年、大阪朝日新聞社に迎えられ論説を担当する。同二十九年、東京朝日新聞社の主筆に転じ、その後同三十七年、朝日新聞社の「天声人語」欄を新設しその名付け親となる。その後、京都大学文学部の講師などを歴任し、支那文学の研究に対して、文学博士を授与され、宮内庁御用係に就任する。大正十三年七月二十九日没、五十九才。
 ところで、記念碑には次のように碑文が刻まれています。
 西村天囚先生誕生之地
男爵 種子島時望書
昭和十六年十一月建之
     熊毛郡教育会

 碑文は以上です。なお、読み違いがあるかもしれません。

2014.3.18〜