原捨思先生頌徳碑

原捨思先生頌徳碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市国上浦田漁港
【撮影日時】
2006年10月1日/11時45分

浦田は、種子島最北端の漁港です。西之表市街地から県道581号線を北に向かって走ること約20分でこの漁港に着きます。たいへん長閑な場所で、天気がいいと大隈半島もすぐ近くに見えています。その漁港近くに原捨思先生の頌徳碑が建てられています。この先生が何をなさったかは、碑文を読むと分かってきます。その碑文は次のとおりです。

原捨思先生頌徳碑

浦田港沿革
明治四十年 地元民により護岸工事
昭和二十三年七月 地元青年により灯柱設置
昭和二十五年三月 港内の河口に導水提築造
昭和ニ十九年十二月 防波堤、護岸及倉庫建設
昭和三十年十月 第一種漁港の指定を受く
昭和三十年十月 港内防波堤完成
昭和三十七年十月 第四種漁港に昇格
以降  公費をもって港内防波堤、港内護岸工事に
着工 昭和四十九年九月港内の浚渫を
経て漁港の整備進行中
部落現勢
人口 二八一人
戸数 八一戸
漁船数 二七隻
建設委員(九人)
撰文 平山武章
書  平山武章
彫刻 花木友安
昭和四十九年十月吉日建之

  碑文
種子島唯一を誇る我が浦田の地曳網によるキビナゴ漁、これは実に大正末期、先生が自ら居を此所に移して導入し指導されたものであります。これにより以来浦田は豊漁に恵まれ、漸次経済基盤も安定して、かの終戦に伴う恐慌の嵐の中にも、独り実富を保ち得たのであります。これこそ偏に先生の語彗眼と、私心を離れた御尽力の賜物であります。更に先生の浦田への限りない御温情は、浦田の第四種漁港昇格への力強いご支援であります。当時、先生は全国漁港協会副会長、鹿児島県漁港会長の枢機に在られ、大局的見地に立って、進んで政府要路との接渉に当られ、よく其実現を見たのであります。まさしく先生あっての浦田は今日あるを得たのであります。私共は常住、先生の高潔な御人格を敬仰しつつ、又、高邁な御誠見への感銘を日に新たにするものでありますが、此の真情を石に刻み、御功績を千載に伝えるとともに、報恩の万一を表すものであります。

碑文は以上です。文章の中で?は読めない字、或いは変換不能の字です。なお、文字によっては読み違いがあるかもしれません。

浦田漁港記念碑前通り

浦田漁港記念碑前通りです。浦田のエビスの左に建立されています。

記念碑の表面

記念碑の表面です。上部にひびが入っています。

記念碑の碑文

記念碑の碑文です。地引き網によるキビナゴ漁で、浦田は豊漁に恵まれたと刻まれています。

2016.7.4〜