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九七式艦上攻撃機の企画展

2022(令和4)年1月22日(土)、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)で、昨年12月下旬から行われていた西之表市国上喜志鹿崎沖で発見された旧日本軍機の企画展を取材させていただきました。

その旧日本軍機の97式艦上攻撃機は、太平洋戦争末期には、特攻機として多く使われてきたものです。

97式艦上攻撃機は、昭和12年(1937)に日本海軍に採用された航空母艦搭載用の3人乗り攻撃機です。41年12月8日の真珠湾攻撃では主力を担った。太平洋戦争末期には旧式化し、45年4月から始った沖縄航空作戦では串良航空基地(鹿屋)から出撃した「特攻機」に多数使用された。

令和3年6月の引き揚げ作業では、中島製(B5N2)のちに「一二型」という形式は確認されていました。しかし、機体番号は確認されておらず搭乗者等の特定には至っていませんが、今後大分での本格的な調査が待たれるところです。

その企画展の模様を掲載しています。

旧日本軍機九七式艦攻展

国上喜志鹿崎沖で発見された旧日本軍機九七式艦攻展です。

オイルクーラー

今回の企画展に6名の方から九七式艦攻のプラモデルの資料を提供していました。立体的にわかるので、貴重な資料でした。

鹿児島湾でその訓練

1941年12月8日真珠湾攻撃を機に太平洋戦争が開戦しました。写真下の資料は、鹿児島湾でその訓練を行っていたというものです。地形的に真珠湾とよく似ていたそうです。

軍服

これは軍服です。直接九七式艦攻には関係しませんが、当時の日本軍の軍服と帽子、そして、鉄帽です。これは、水平尾翼です。足、タイヤなどが装着されているのが確認できます。

千本針

これは、千本針です。千人の女性が、願いを込めて布に1針ずつ結びつけたものです。

戦時中の茶碗

これは茶碗です。兵士が匍匐射撃で戦闘している様子や子供が旭日旗を持って「すすめ、すすめ」と士気高揚している様子が描かれています。

引き揚げ作業の映像

写真は、砂の中に眠っていた九七式艦攻の機体です。砂の影響で、保存の状況も良好だったと思います。

ビデオは引き揚げ作業、海中の九七式艦攻の状況などが写っています。

エンジンオイルを冷却するための器具の銘板

写真は、これは、エンジンオイルを冷却するための器具の銘板です。この銘板から一二式という番号が確認できていました。

引き揚げ作業の写真

昨年行われた引き揚げ作業の写真です。特に、深い緑の機体の色が印象的です。何か、平和のメッセージが聞こえてきそうな機体色でした。

引き揚げ作業の写真

写真は、昨年行われた引き揚げ作業の写真です。その下には、操縦席付近から見つかった工具、そして、鉛筆などです。

引き揚げ作業の写真

昨年行われた引き揚げ作業の写真です。特に、ないといわれていた尾翼部分が見つかったのは、機体が持てる結果であったそうです。

雷ホルダー金具

写真は、これは、機体前部下の魚雷ホルダー金具の一部です。

大分県宇佐市九七式艦攻ゆかりの地

昨年引き揚げられた九七式艦攻は、大分県宇佐市に移動されて、ここで保存されることになっています。「宇佐海軍航空隊」が開隊した九七式艦攻、ゆかりの地です。現在、引き揚げられたものは、水につけられ塩抜きを行っているという。

※ 2022(令和4)年1月22日(土)、種子島開発総合センター(鉄砲館)で、西之表市国上喜志鹿崎沖で引き揚げられた旧日本軍機97式艦上攻撃機の企画展の模様を紹介しています。この動画の中には、主翼の一部、尾翼の水平尾翼の一部、操縦桿、操縦席の椅子、エンジンのオイルクーラーの銘板、魚雷の留金具、97式艦上攻撃機の資料提供したプラモデル、引き揚げ及び海中の機体の様子の映像、機体の一部、鉛筆、操縦桿の一部、工具、九七式艦攻のゆかりの地大分県宇佐市の状況、月刊「丸」に掲載された状況などを収録しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島喜志鹿崎沖で発見された旧日本軍機九七艦攻展〜種子島開発総合センター鉄砲館企画展

【撮影場所】
鹿児島県西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)
【撮影日時】
2022年1月22日(土)/10時15分〜11時07分
2022.1.23〜