鉄砲伝来に関係した人々

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種子島時尭
第14代島主で、鉄砲伝来時の年齢は若干16歳。日本人で初めて舶来銃を試射した人物で、鉄砲伝来のヒーロー的存在。
八板金兵衛清定
この人は、日本人で初めて国産の鉄砲を作った人物です。鉄砲を作るために、娘もポルトガル人に嫁がせています。
笹川小四郎秀重
島主時尭に命じられ鉄砲の火薬を作った人物です。苦心の末、世界最強の火薬を作り上げたのです。火薬の混合割合、硝石75%は、現在でも使われています。鉄砲伝来時の若狭を中心としたオペラがありますが、そのオペラの中で、小四郎は若狭の恋人になっています。しかし、国産銃の完成を目指すことで、二人は一緒にはなれなかったことがオペラの中で取り上げられています。
若狭
若狭は、鉄砲鍛冶八板金兵衛の娘で、金兵衛が、来る日も々も鉄砲作りに精を出しているが、雌ネジの切り方が分からず難儀していたのを、見かねてポルトガル人に嫁いでいき、その甲斐あって国産銃が完成したといわれています。その1年後若狭は病気で亡くなりますが、その時南蛮人は、涙を流さなかったと伝えられています。何と非情なことかと思いますが・・・。そして若狭は、日本人で初めての国際結婚した人物とも言われています。
西村織部丞
種子島家の家老で、西之村の宰領でした。南蛮船が漂着した時乗っていた明国人とも筆談しています。したがって学問にも秀でていた人物ではないかと思います。
津田監物
島主時尭から鉄砲を一丁貰い受け、紀州根来寺で鉄砲を作った人物です。津田監物といっても世襲名で実際は、津田監物算長といわれています。
橘屋又三郎
この人は境の商人で、鉄砲で名声を上げ大商人となった人物です。
五峯
台風の直撃を受け、南種子門倉岬周辺に漂着した時、南蛮船に乗っていた明国の人物です。南蛮船の王直で、西村織部丞と筆談しています。
2016.12.14〜