菊池竹庵に関する碑
南種子町平山神社境内に菊池竹庵(きくちちくあん)の墓があります。墓は南種子町の文化財にも指定されています。墓碑に刻まれている碑文は、次のとおりです。
三番隊附属
菊池竹庵墓
慶応四戊?閏四月六日戦死
君姓菊池氏少?僧号竹
庵隅洲種子島人當?
京都住東漸寺以?書有
名慶應戊辰征東之役君
慨然自奮従軍東下時財
拠上総五井駅君窃徃?其
?静為賦?殺享年四十
時軍時倥偲假?八
幡駅員頓寺越明治
?午春正月廿二日改葬
于此鳴呼君以緇従?
義不魂士人之事
矣因為誌其概畧云
加納謹撰
明治三年正月廿二日
碑文は以上です。文章の中で?は判読できない字、或は変換不可能な文字です。なお、文字によっては読み違いがあるかもしれません。
南種子町の文化財の資料によりますと、
菊池竹庵は文政十二年平山に生まれ、その後慈遠寺の小僧となり法華宗を修行しています。そして、戊辰戦争では天皇方に付いていましたが、今の千葉県の五井というところで、夜間敵中に忍び込んだところ見つかってしまい殺されたのです。上野の八幡駅の円頓寺で仮埋葬され、明治三年春に東京大円寺で改葬されています。その後竹庵の父は天皇から報奨金も戴いたといいます。