大宇都集落創立に関する碑
大宇都は、南種子市街地の北側に位置しています。国道58号線沿いに大宇都公民館があり、その後方に創立記念碑が建立されています。その記念碑には次のような碑文が刻まれています。
大宇都集落創立六十周年記念碑
平成十年(一九九八年)十月建立
大宇都は、上之平と同一集落であったが、昭和十三年(一九三八年)に分離し、今年で六十周年を迎えた。
当時、公民館を建設するにあたり、中野六市氏(当時五十七歳)が自分の畑一〇六九平方メートルを無償で提供し、土地名義も「大宇都共治」とした。そして昭和十四年、この地に公民館を建て集落民全員で発足を祝い、前途洋々の気勢を揚げたと聞く。
また同時期、中村甚哉氏(当時四十六歳)が隣接する山林二三一平方メートルを無償で提供し、ここに公園整備を行った。
分離した時の八起人会の役員名は、田上米作、蘭田兵蔵、中村甚哉、中村静雄、塩釜盛保の五名であった。戸数は隠居を含め三十五戸であった。集落は、長谷から本町まで南北に流れていた用水路沿いに細長く家屋が点在し、それぞれ農業を中心とした生活であった。
昭和四十八年に道路拡張のため木造の公民館は解体され、翌、昭和四十九年三月二日に現在の公民館が完成しました。
また、大宇都には神社仏閣はなく、河内神社の秋季大祭に「ナギナタ踊り」「ヤートセー」を奉納しており、昭和五十年には茎永上之町の協力を得て「棒踊り」を習い今日にいたっている。
大宇都は、住宅用地の豊富なことから個人住宅が増える一方、町営住宅、コスモタウン南種子団地、ロケット関連企業社宅等の建設により集落規模が拡大し、発展の一途を辿っている。現在は、世帯数が二百を越え、町内一の大集落となっている。
ここに住む私たちは、先達から引き継がれた伝統を大切にしながら、六十周年を期に共に大宇都を愛し喜びと苦しみを分ち合い、このふるさとの尚一層の発展に努力することを誓うものである
公民館長 湯田国夫
六十周年記念事業
実行委員長
副委員長兼会計
碑文は以上です。公民館長以外の名前は省略しています。文章の中で読み違いがあるかもしれません。