鎌田政義翁に関する碑
中種子町役場前の庭園の中に、この記念碑はあります。記念碑には、次のような碑文が刻まれています。
鎌田政義翁頌徳碑
鹿児島県知事 寺国勝志書
翁は明治二十年十一月十三日野間竹屋野に生なる始祖鎌田大学の遺志を継ぎ青年時代より経政の勉学にはげみ?知衆に抜きんで志を抱いて遠く祥太まで偏歴し大正十年東京明治薬学専門学校夜間部を卒業同十三年薬剤師試験に合格大正十四年旭町に薬局を開業す昭和五年以来村会議員当選連続三回昭和十五年九月代理助役に就任続いて昭和十五年十二月十日町制実施と共に初代中種子町長に就任す時恰も長年に亘る支那事変は大東亜戦争に突入し祖国の危急に際会し青壮年の応召物資の父之等困難なる内外情勢下にあって町民の和と奮起をを伏し常に無から有を創造することを呼び町政発展百年の計を樹てることに専念昭和十六年二月二日現種子島空港一帯松原山一四〇陌を買収次いで昭和十八年十二月二十四日牧川奥嵐大堂山所在の高山七太郎氏所有の山林六百余陌を買収一挙にして七百余陌の基本財産を獲得す而もこの買収財源は税負担によらず翁が豫て主張する無から有を実現した特筆すべき功績をゆうべきであろうこの外翁が在任四ヶ年間の業績は枚挙に遑なく庁舎の建築中種子町更生組合の設立農業会長等を兼任し常に町民と職員の先頭に立ち清廉潔白行政能率を上げて町民の発展と町民の福祉に寝食を忘れ翁の辞任後財政の困窮と混乱の中から町民に希望と勇気を与え今日の隆昌をもたらした原動力となる町民の感激招く能はず翁の業績を永久に伝うべく相謀り邇茲に頌徳碑を建立して翁の功徳を?うる所以なり
昭和三十五年十二月一日
碑文は以上です。文章の中で?は不明文字、或いは変換不可能文字です。なお、読み違いがあるかもしれません。