漁業権及び租税軽減に関する碑
中種子町星原牧川公民館前に、この記念碑があります。左は、漁業権に関する記念碑、右は、租税軽減に関する記念碑です。右の記念碑の碑文は、次のとおりです。
頌徳碑
国家経験ノ道ハ濟世安民ニアリ然リ而シテ清廉以テ己ヲ制シ邁進以テ公事ニ殉スルノ士ニシテ始メテ之ヲ克クスルヲ得ヘシ我有留藤十郎君ノ如キ即其人力君ハ有留庄太郎翁ノ嫡嘉永元年牧川ニ生ル功ニシテ頴悟其言行奇警?人ヲ驚カス其郷学ニ在ル学業亦群ヲ抜ク成業ノ後選ハレテ邑吏トナリ?正スル所多シ明治十二年地租改正ノ事アリ君復選ハレテ改正総代トナル抑牧川ノ地タル西海ニ面シ毎年夏秋ノ候暴風?風至シ被害甚シク収穫ハ殆貢賦ヲ償フニ足ラズ君謂ラク地價ヲ低下シ租額ヲ軽減スルニアラサレハ以テ民人急ヲ救フニ足ラスト乃此意ヲ検査官ニ致ス聴サレス是ニ於テ君?然トシテ曰ク地ノ効ハ民ノ耕スニ依テ表ハル民ノ耕スハ収穫アルヲ以テナリ若シ夭シ民耕サランカ土地荒廃シ国家ノ不利之ヨリ甚シキハナシト且陳シ且請フ遂ニ聴サル即牧川ノ地価低平ニシテ人民ノ租税ニ苦マサルモノ實ニ君ノ恩澤ナリ其他概要ノ山林ヲ村有トシ村民ヲシテ居材薪炭ノ料ヲ檀ニセシメ又行政上ノ支障ヲ認メ明治十三年納官村ヨリ分立シテ1里獨立村トナセシ等村治ノ為公共ノ為ニ劃策経営セラレタルコト枚挙ニ遑アラス而シテ其深算遠謀?レモ役人ヲ利セサルハナシ然ルニ不幸中年ニシテ夭折ス鳴呼惜イ哉?来年ヲ閲スルニ従ヒ村民益々其徳ヲ謳歌シテ護ル能ハス乃相謀リ碑ヲ建テ以テ君ノ功徳ヲ後昆ニ傳ヘ永ク其徳ヲ仰グト云?
大正四年八月
牧川人民中
次に、左の記念碑の碑文は次のとおりです。
謝恩碑
明治三十五年七月漁業法施行セラルヤ初メ牧川区民相議シテ専用漁業出願セシモ容レラレズ為ニ区民失望其ノ為ス?ヲ知ラズ偶西之表廣瀬宗義氏ニ倚リ初志ヲ達セムコトヲ謀ル代快諾直ニ区民一同ヲ以テ漁業組合ヲ組織牧川浦漁業組合ト称ス尋テ地先水面専用漁業ヲ請願シテ免許ヲ得更ニ追加申請ヲナシテ漁業権ヲ拡張シタリ此ノ間氏ハ十年一月ノ如ク東奔西馳自己ノ利害ヲ顧ミズ理事有留惣左衛門監事岩坪五郎其他幹部ヲ指導共ニ終始一貫熱誠ヲ以テ其ノ衝ニ任ジ遂ニ願意徹底シテ官ノ認容スル?トナリ総ベテ其ノ目的ヲ達成スルニ到レリ於是乎区民大ニ喜ビ?来益々努力大ハ区有財源トナリ小ハ各自更生ノ資産トナリ而シテ区並ニ組合員ヲシテ相互安定今日アラシメタル者實ニ氏及ビ役員幹部ノ力タラズンバアラス仍テ区民相謀リ事由ヲ貞aニ勒シ永ク子孫ヲシテ之ヲ紀念セシムルト共ニ氏以下ノ功績ヲ不朽ニ傳ヘ以テ謝恩ノ意ヲ表ス
昭和八年十二月
牧川浦漁業組合
理事徳永元次撰
碑文は以上です。文中で、?は判読できない文字、或は変換不可能な文字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。