榎本新喜翁の功績に関する碑
西之表市街地から県道76号線を中種子に向かって走ること約15分で、この場所に着きます。古田中央公民館の県道側にこの記念碑が建てられています。榎本新喜翁の功績を称えた紀功碑です。昔の字体ですので、不明文字や変換不可能な文字があります。では、この記念碑に刻まれている碑文は、次のように書かれています。
紀功碑
多?ノ古田ニ一偉人アリキ榎本新喜翁諱ハ貞治父ハ新右衛門貞吉母ハ渡邊氏翁ハ其嫡男タリ天保二辛?年八月八日生ル新右衛門文政三年以降作貝週横目役庄屋納殿等ヲ印付ラル翁幼ニシテ頴?温厚長シテ謙譲?気概ニ富ム苟モ退縮ヲ欲セス敢テ展舒ヲ悦ヒ私我ヲ排シ公義ニ竭ス志篤シ安政四年横目役尋イテ庄屋復横目役トナリ天治二年藩吏我島ノ田園ヲ測量スルヤ蜜ニ功才役トナル明治二年島主封ヲ還スニ方リテ官其家臣ト共ニ翁ヲ士分ニ籍ス四年軍務局村長命シ五年郡治所安城村副戸長ニ挙ケ八年古田戸長添役トナリ十二年土地改定ニ際シ総代トシテ出役セリ時ニ古田村戸数僅ニ二十七住民百二三十山間僻陬ノ一小部落ニ過キス其耕作田園亦狭少ナリシカ翁平生観ル所アリ即チ後来此地ヲシテ開発セシタルニハ多ク住民ヲ招致スルニ在リ而シテ之ヲ履行スルニハ百年ノ計必ス先ツ基礎タル固定資源無カル可ラスト翁及チ副総代高尾野利八君ニ其懐襟ヲ告ケ利八君大ニ之ヲ替シニ人深ク盟ヒ更ニ二十七戸ト固ク結ヒ同心?才カ動カス則チ官ニ請フニ附近山林ノ廣区域ヲ?シ之ヲ部落ノ共有地ニ編入セム事ヲ以テス官?之ヲ峻拒スルモ可カス尚将来賦税ノ大ナルヲモ恐レス其請願情ヲ盡シ?紀ヲ極メシカハ官祖斥クル能ハス意ニ之ヲ聴許スルニ迄リキ其山林面積實ニ二千町歩タリ往年翁カ所見ニ皆カス後住民年ヲ遂ウテ来タリ今ヤ二百二十戸ヲ算ス尚開拓セル田園林野著シク増大シ且製炭製材製茶運輸商工養蚕ノ業興リ衆各其?ニ安ムシ孜?トシテ惰ラス益発展スルニ至レリ又文教ニ於テモ尋常竝高等小学校男女青年修養舍等ノ建設アリ而シテ其資料及請費ヲ?ク其山林ニ仰キ曽テ居民ノ私損ニ須ツ所ナシ古人曰ク?天ニシテ百世ノ師ト?リ一言シテ天下ノ法トナルト鳴呼之ヲ思ヒ之ヲ思ヘハ?ニ昔年翁カ忠慎義ニ燃エ剛正志ヲ屈セスイニ慈相憐ミ克ク慮リ克ク治メタル斎ニシテ其貽謀遺澤亦大ナラスヤ之ヲ是偉人ト栖ヤスシテ何ソ今我郷友均シク翁カ稀世ノ丕績ヲ仰慕シテ止ます更ニ顕彰セムカタメ碑ヲ概テ其功ヲ紀ス 銘ニ曰ク
有情尤義 情義在人 新翁?起 古田之濱
頴才啓蒙 精気?真 朝?暮情 常欲善鄰
深慮遠謀 災将扶貧 官容誠意 割授山林
力食大振 遺澤靡斬 ?邑?親 後生報本
勤茲貞a 昭禾來葉 不磨尚?
昭和十三年五月 日高實一 撰?書
裏面の碑文は次の通りです。
改正常時居住者
岩元惣助 宮口平太郎
高尾野利八 宮口助市
榎本新喜 中島直吉
中原善次郎 牧瀬才蔵
前田本四郎 古川金太郎
榎本半蔵 阿世知畩助
田之上半之亟 鮫島喜一
藤山次右衛門 中島勇之助
浦添金蔵 寺原藤助
上妻仲吉
鎌田十吉 古田區建之
渡邊新之助
渡邊直一
田上半次
榎本時雄
碑文は以上です。?は不明文字、或いは変換不可能な文字です。また、一部の文字については現代文字に変換しています。なお、読み違いがあるかもしれません。
※ 西之表市古田村之町古田中央公民館に建立されている榎本新喜翁の功績に関する記念碑「紀功碑」を紹介しています。この動画の中には、県道76号線古田中央公民館入口付近、記念碑付近、紀功碑の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。