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【植村さん種子島での苦い交通事故の思い出写真】

千葉県在住の植村さんから久しぶりにメールが届きました。その内容は、種子島を訪問した時に交通事故を起こしたそうです。その事故の模様を写真とともに紹介しています。読者の皆さんも交通事故には十分気をつけて植村さんの話の内容を参考にされて安全運転をお願いいたします。

植村さんによれば、当時、種子島始まって以来の事故ではないかとお話しされています。新聞にも載ったという話もあるそうです。

昭和47年 1回目に種子島を訪問をした時の事です。東京から急行列車でとんでもない時間をかけて行き当たりばったりユース周りの九州旅行で、鹿児島ユースで種子島へ行ってみようかということで種子島にやってきました。

宿泊先は、美しまさんという旅館(古い建物で入り口が道路から細い上り坂だったような)でお世話になったと思います。その当時、まだ馬毛島は知りませんでした。到着した翌日の朝、次の日に馬毛島に渡るという学生2人と一緒に、確か平和モータースという所からレンタカーを借りて、4人でとりあえず中種子町に向かって出発しました。

しかしながら1時間もたたないうちにとんでもないことが起こります。海岸線の曲がり道が多いという島の道路事情も知らず、私も若かったし交通量も極端に少なかったので、無謀にも前を走っていた遅いバンに左カーブで追い越しをかけました。その時のことは今でも忘れられません。いきなり1台のダンプが正面に目に入ってきました。無意識に左にハンドルを切りましたが間に合わず、横滑りして側面同士が衝突しました。

衝撃で車は2回横転して反対向きになり、もう少しで畑に落ちる寸前で止まりました。助手席の弟は大声で何か叫んでいました。追い越したバンの人が通報してくれたのか、しばらくして救急車が来て、4人とも中種子町の病院に運ばれました。

無理矢理に乗せた学生2人は、血だらけで治療を受けていました。私も頭を打ったのか茫然としてわけのわからない状態でした。次の朝、港で昨日の学生2人に会い馬毛島に渡るんだと言ってました。傷の事を聞きましたら、ガラスで切った傷なので血は出たが、大したことはないということで、顔が絆創膏だらけでしたが、お互い元気でと別れました。被害者なのに簡単なものでした。

私たちは、これからが大変でした。毎日、平和モータースへ通い、1時間くらい保証金の交渉。結局、我々学生では話にならず、叔父さん2人に来てもらう破目になりました。なるべくお金をかけない旅行が、最後には親に大金を使わせてしまうことに・・・。今度は馬毛島に行こうと思いながらの帰宅でした。

47年も前に、種子島をお騒がせしました。家に電話をかけるのに、公衆電話から1000円で3分だったと思います。 私にとって種子島は忘れられない思い出深いところです

交通事故をした車の写真
事故した車
事故した車事故したダンプ

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2019.10.31〜