ヤートセー本踊り〜おくめ口説

静かで優雅な手踊りが楽しめるヤートセー

ヤートセー〜本踊り
【撮影場所】
鹿児島県熊毛郡中種子町野間種子島こり〜な、中種子町立星原小学校
【撮影日時】
2011年11月5日(土)/18時02分〜18時14分
2012年9月23日(日)/12時51分〜13時13分
【奉納場所】
中種子町星原校区合同運動会
【奉納時期】
毎年9月中旬ごろ
【アクセス方法】
中種子市街地から国道58号線を下ること、約15分で星原小学校に着きます。

【踊りの説明】

星原地域に伝承されている郷土芸能のヤートセー(おくめ口説)です。一般的にヤートセーは口説踊りと言われています。種子島のほとんどの地域に伝承されている手踊りであります。

おくめ口説は、武士の娘と呉服屋の息子、身分の違う男女の結ばれぬ恋を描いた悲しい物語になっています。星原子ども育成会のヤートセーは、竹之川集落に伝承されていたものが浜津脇集落へ引き継がれ、その後、校区の協力を経て昭和59年から継承し、今もなお、毎年の運動会で披露されています。

ヤートセーは出端、本踊り、崩し、引端から構成されています。出端は太鼓や鉦を鳴らしながら六列縦隊で、歌いながら前進し、その後次第に円形の隊列になっていきます。太鼓六人、鉦二人は円内でで、対面しながら本踊りを踊っていきます。「ヤートセー」の歌詞が随所に出てきて、踊りが盛り上がっていきます。

写真は本踊りの様子です。ヤートセーも地域によって、ずいぶん踊り方に違いが見られます。「ヤートセー」の歌詞が出たときに、内側あるいは外側を向き、左手を垂直に曲げ、そのとき右手を水平に左ひじに添える踊る瞬間は出てきません。他のヤートセーと大きく違う部分です。また、鳴り物の踊り方も特徴があります。

ヤートセーの出端 写真は平成24年9月23日(日)の運動会で踊られたヤートセーの出端です。頭が、掛け声を出し、これから踊りが始まるのを告げます。しばらく前進し、その後、踊る円形の隊列になっていきます。各地域で出端もいろいろあります。
ヤートセー〜本踊り 外周は、踊り子、円内は、鳴り物が水平に対面しています。随所にヤートセーの掛け声が出てきますが、太鼓の動きも特徴があります。外周の踊り子は、始終センスを持っています。
ヤートセーの鳴り物 写真は鳴り物です。鳴り物は二列で、対面しています。太鼓6人、鉦2人です。外周の踊り子は、反時計方向に移動しながら踊っています。踊り子の前進移動距離が少ないことも特徴です。
ヤートセー〜引端 本踊りが終わると、ヤートセーも終了です。六列縦隊で、少し前進して、踊り終えます。
踊り終えての記念撮影 踊りが終わると、正門階段のところで記念撮影です。大変上手に踊ってくれました。踊り終えた子供たちの表情がいいですね。
 ヤートセー

ひとつやりましょおくめのくどき
ここはどこよと伝えて聞けば ここは大阪道頓堀よ そこに川村五右ヱ門殿よ
ひとり娘に名はおくめとて 年は十六花ならつぼみ
花にたとえてもうそやなろば 春は三月あおじの花よ
秋は紅葉のまんざい菊よ 立てば芍薬座れば牡丹
歩む姿は野百合の花よ 肌は卵のみはだのごとく
京や大坂絵描きはあれど おくめ姿は絵にゃ描きゃならぬ
同じかわらぬ下町通り 町の三番目の呉服屋殿よ
次男息子に名は定七よ 年は二十四で男の盛り
ものもよう書くさんそろばんも 何につけてもぬけまがなかよ
ころは六月八日の晩に やくしまいりにおくめを見染め
見染め逢いそめふかしご縁 あんなおくめにこいせんものを
うちにもどりてしょくざについて すずりひきよせ墨すりながす
墨はじゃこうのいろよき墨よ 紙ははやりの筑後の紙よ
筆ははやりのしんない筆よ 書きも書いたよ二尋三尺
合間隙間にこうたを書いて 書いてたたんでおくめにおくり
おくめ手に取り聞いてみれば 文の書きようは面白けれど
町と武士との恋路がでけぬ 丸木舟かよ文返された
長い口説なら見物人も退屈 ここで切りましょ口説の中を

※ 2012年9月23日(日)、校区・星原小学校合同運動会でヤートセーを撮影したものです。この動画に中には、ヤートセーの踊りの準備、出端、本踊りの様子、引端、記念撮影などを収録しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島の郷土芸能:ヤートセー「おくめ口説」(中種子町星原)

2015.1.2〜