種子島の各地にヤートセーは存在していますが、比較的歴史は新しく戦後伝承されています。資料によりますと、戦後闇取引の警備に種子島に来たお巡りさんが伝えたと言われています。
御崎神社の秋季大祭で奉納された平野公民館の皆さんによるヤートセーで、本踊りが清ざ口説、くずし「甚平口説」です。ヤートセーなどの踊りは、一般的に口説踊りと呼ばれています。また、中踊りに属します。
この西之校区にはたくさんのヤートセーがあるのですね。しかし、各地域で少しずつ踊りが違います。平野地域のヤートセーは、踊り子が男性と女性が混在して踊ってくれます。したがって、優雅な踊りが一段と艶やかさも増し、色気のあるヤートセーを楽しませてくれます。
ヤートセーの踊りは、本踊り、崩しの二つの部分から構成されています。地域によっては、後半の崩しを省略する場合もあります。写真一枚目は、本踊りの様子で二重円で男性は外側、女性は内側を反時計方向に進行していきます。太鼓二人、鉦一人、入鼓二人、そして、踊り子は男性十四人、女性七人の合計二十五人で披露してくれました。
男性の服装は、黒の衣装姿に頭に日本タオルのハチマキをして、色鮮やかなたすきがけ、そして黒の足袋でワラジを履いています。女性は鮮やかな着物姿で白足袋でぞうりを履いています。また、太鼓だけは華やかな衣装姿ですが、左半分だけ着ています。
踊り子全員で歌いながら進行していき、「ヤートセー」の掛け声が随所に出てきて、次第に踊りが盛り上がっていきます。崩しは「甚平口説」でやはり二重円で披露してくれました。他のヤートセーにない部分です。太鼓、鉦、入鼓の鳴り物や掛け声が神社境内いっぱいに響いていきます。女性の参加で、優雅さの中にも艶やかなヤートセーで観衆を魅了してくれました。
写真は、ヤートセーの鳴り物の太鼓です。太鼓に続き、鉦、入鼓の順となっています。太鼓を力いっぱい叩きながら、掛け声も出していきます。そして、ヤートセーの歌詞が出てくると、太鼓を頭上に高々と持上げ叩いていきます。 | |
写真は、ヤートセーの歌詞の繰り返しの最後のヤートセーのときに、内側を向き、左手は垂直に曲げ、そのとき右手は水平に曲げ左ひじに添える仕草の部分で、ヤートセーの最も哀愁に満ち溢れる瞬間です。なお、ヤートセー〜清ざ・甚平口説は、円形の隊列で連続して踊っていきます。 | |
写真は、ヤートセーのくずしです。本踊りと同様に反時計方向に移動しながらの踊りです。リズミカルな踊りになっており、哀愁に満ち溢れています。また、随所に「甚平」の歌詞が出てきます。 |
(出端)
うぐいすが うぐいすが
梅に来て 花ふみちらす細足で
大なぎなたで さくと切らばよ
やらやら見事・・・
(本踊り)
国を申さば 備前の国よ
備前岡山 清ざい殿よ
清ざい娘に その名はお節
五つ六つから お伊勢に心
親に度々 暇貰えども
暇くれねば ぬけ参りょする
ぬけちゃ参りな 暇くりょ参れ
そこでお節は 道中の支度
下にゃしろもく その上ゃどんす
帯ははやりし ななこの帯よ
三重にまわして 吉外結ぶ
足にゃ白足袋 八っ尾のせきだ
すげの小笠に 小杖をついて
ここはどこよと たずねてまわる
ここは大阪新町筋よ
もーしこりゃこりゃ 宿かしめされ
宿はかし、あしょう すそつよ召され
すそえおすすいで 座敷に上がる
お茶や盃 早取りいだす
お膳すませて やすんでおれば
この子殺せば よい金とれる
殺せ殺せと ぶひょうえをせめる
長い口説なら 踊り子も退屈
ここで切りましょ 口説の末を
(くずし)
年は子(ネ)の年大干(オービ)のとしよ
頃は六月下旬の頃よ
今日は日もよい田に出てみれば
田作畑作みんななし枯れる
甚平上田(オワダ)で庄屋が下田(シタダ)
甚平水口ょ庄屋が落とす
何のしらいでふいごをふさぐ
我が百姓で何言うか甚平
百姓何かよ庄屋が何か
こっちも前もみなさまがたも
上納召すのは皆同じこと
そこで庄屋が腹立ちて
杖についたる六尺棒で
打ちてかかれば鍬の柄でさゆる
鍬なければさえつけられた
※ 2019年10月6日(日)、南種子町西之御崎神社秋季大祭で奉納された平野集落に伝承するヤートセーを紹介しています。この動画に中には、ヤートセーの入場、本踊り、崩しを収録しています。なお、崩しの最後が収録できていませんのでご了承ください。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島の伝統芸能:ヤートセー西之平野集落御崎神社秋季大祭での奉納踊り2019年】