米国商船カシミヤ号の乗組員を救助したのを記念して紀徳碑が建てられています。
明治十八年九月二十日午後十時ごろ、イザリ漁に出ていた古田貞吉が、米国商船カシミヤ号の遭難した乗組員五人を救助した。村人から集めた着物や食べ物を与え看護し、翌日、馬五頭で西之表へ送って分かれた。そしてお礼として、紙幣や水差し、ピストルなどを置いていったが、紙幣は返したという。乗組員が帰国後、この事件は、米国議会に知らされ、感謝の意として、安城と伊関に五千ドル(当時6,641円)が贈与された。そして、両部落は、感謝の意に沿うように校舎の増築や第一勧業銀行の株券を得た。それ以後、伊関では奨学会が組織されこの基金で教育に貢献してきた。そのおかげで種子島で第一号の鉄筋校舎も建てることができている。その後、五千ドルの贈与に感謝の意として紀徳碑を建立したものです。