種子島時元墓碑銘

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種子島時元に関する碑

種子島時元墓碑銘
【撮影場所】
鹿児島県南種子町下中浜ノ里神社境内
【撮影日時】
2008年5月25日/10時58分

 南種子町下中浜ノ里神社境内に、河内時元の墓と記念碑があります。墓碑に刻まれている碑文は、次のとおりです。

  碑文
種子島時元墓碑銘
国史肄業府学訓導能守嘉永之役平族戦敗諸軍悉潰肥後守信基君以幼母君懐避乱倚北条氏祖相国清盛考左馬頭行盛君信基君??刑部?忠盛君之後北条氏為言之於?朝詔賜種子屋久十二島世相続雄南海信基君第十二葉為武?守忠時君第七子為攝津時貞始封之中之村河内邑?食三百子孫囚以為族時貞生越中守時生君諱時元小字七助小英異好兵善槍剣士莫敢伍祗?戎政克丕堂搆文録四年巳未從久時君移知覧基民?可知
慶長元年丙申遠赴朝鮮之役久時君推為牙将以委軍事二年丁酉再至朝鮮八月十五夜至南原君先?之喋血慮恨親斬城将餘刀猶井髪愛共釵???功故至今立石祀其霊三年泗川新塞戦興其季父時宗慮?最多久時???封地遺君就代其政?舟未発会伊忠直拠都城?以廻城必?之地馳而鎮之五年庚子関原之役從時宗詣尼崎間三成敗乃帰
十五年庚午宰屋久在職三年田埜開民物繁庶富老?務因久時君卒也忠時君猶幼安繁友貞檀権恣唯?旧?以?新制一時皆?獨興上妻家長正色立朝不肯以祿?枉撓ニ姦怒元和元年乙卯交々訴藩慈眼公公怒囚二姦賜死賞君及家長遣之由是興家長補幼主旅?之警无逸之訓送進
交陳繕甲属兵士馬雲騰以?綏邦家式過?虐?當之時微二臣種氏之願不為若?氏之餒鬼者無幾也嘗請山川邑適有?賦把弓?敗屋衆蒼皇?惜則引爼自扞進入宝賦射之不入捕以付収吏固以?勇之資出百戦之餘威智誉捷人莫測其除?此之類也将老也分河内之田一百之半???公曰夫重祿厚賞所以天報有功臣二子皆不肖弗可以熈天時人莫不服其廉智?古市氏生二男二女曰時成次時常長女適下村氏二女適古市氏元亀元庚午生寛永十九年?午十月七日死年七十三?日本種院光居士葬真所焉文政甲申秋八世孫時英使男時然請?泰岳山?山從時至?黄河洪?期来如帯況人功名平向者祖先聖挽???而?金草以克?乃公文克開万家今不能?之堅?微以永却羊叔子沈魂當笑久於九原?銘之余不父素不足不朽君令名然重選千里相?意乃銘之曰
      烈列武神維熊維罷     枕戈眠鉄両沐風馳
      ?十星霜或専成稗     獅?虎哮斬将?旗
      連?三略秘計??     夫鯨?不丕奠邦基
      発政治戎匪名其誰     如酒之麹如卜之亀
      我武維場庶績咸?     身騎箕尾気壮山河
      嗟君之勲千載不磨     明水之??山之阿
文政七年申?冬十月七日 河内九郎右衛門時英敬建

 碑文は以上です。文章の中で?は判読できない字、或は変換不可能な文字です。なお、文字によっては現代文字へ変換しています。

南種子町の文化財の資料によりますと、河内時元は、
種子島家第十七代忠時の第七子で河内家の始祖、中之村に住む。元亀元年生まれ、古市氏を娶り、二男次女を授ける。長男は時成、二男を時常という。長女は、下村氏に、次女は古市氏に嫁ぐ。寛永十九年七十三才で没、日本種院光宗居士と諡され、真所に葬られています。

 なお、墓碑の左にお墓がありますが、次のように刻まれています。
妙法 ?本種院宗光?
     俗名  河内七助