紀念碑

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能野塩屋牧に関する碑

紀念碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市能野公民館
【撮影日時】
2006年10月9日/8時37分

 西之表市街地から国道58号線を中種子に向かって走ること約10分でこの場所に着きます。国道沿いに公民館があるので、記念碑は目立つ位置にあります。その記念碑には、次のような碑文が刻まれています。

 碑文
 紀念碑
四坊山冠嶽の山林は元下能野塩屋所有地牧場地として遠く元禄年間領主種子島家より恩賜を受けたるものなり?来幾百年間牧畜に従事せしめらるるを共に一面牧場地奉公として製塩業を為し其の製塩を以て年貢とするの制を定められ毎年拾石?之を納付して怠らず只維新に及ひて自然消滅小属せしも譲土地は依然所有し来?しに明治十二年地租改正の際其の趣旨を誤解し官有地に編入せられたるを憾む?を茲に十数年明治三十年小及び政府比等?分法を発布せらるるや下能野元塩屋人民と能野部落人民との間数回か疑議したる結果其の引戻申請費用は能野部落の積立金を以て之に充て引戻地は全部落の共有となし其の代償として下能野元塩屋人民へ金四百拾円附興する?と?協約成立す是に於て選ばれたる引戻請願委員瀬崎周右衛門鮫島弥市西之表羽生主右衛門及び山下彦太郎は共に家事を顧みず寝食を忘れて死力を盡し専心引戻手績を研究し明治三十一年六月廿七日下能野元塩屋人民名義を以て農商務大臣へ請願する小際し能く縁故を立證し錯誤を辨疏せし至誠を認められ札満五個年を経て明治三十六年五月廿六日許可尋いて仝年七月土地の引渡しを受くるに至れり爰小於て部落人民一同始めて愁眉を開き欣喜措く虚を知らざりき此間内は下能野元塩屋人民と能野部落人民間に於て衝突する?ありしも西之表三浦安能の調停に依りて和解し外は住吉部落人民より種々の異議を唱へて官?に申告?と雖能く之に勝へたる而已ならず総支出實費金額二千四百六拾五円を算するに及ひ辛くも之?支辨の方法を講じて誤らず総べて満足に?理し得て永久能野部落人民の建築薪炭材料に欠之を告げざるに到らしめたるは實に鮫島弥市瀬崎周右衛門羽生主右衛門の各委員及び山下彦太郎の力興りて最も大なるもここ亦下能野元塩屋人民の雅量と能野部落人民及び有志の試意と相竢つて一致せ志共力に因?目的?達成せし?以にして其の功労は長へに此の引戻したる不動林地と共?滅を可ら?於是乎部落人民相謀り碑石を建て而して其の来歴を誌して以て後人の紀念とす
      大正八年拾二月十日
              廣瀬宗義謹誌
              平山?謹書
              能野部落人民中建之
              碑石発見者 上畑袈裟次郎

 碑文は以上です。文章の中で、?は不明文字、或いは変換不可能な文字です。また、一部の文字については現代文字に変換しています。なお、読み違いがあるかもしれません。