水稲早期栽培記念碑

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水稲早期栽培に関する碑

水稲早期栽培記念碑
【撮影場所】
鹿児島県農業開発総合センター熊毛支場
【撮影日時】
2013年2月23日(土)/13時33分

 鹿児島県農業開発総合センター熊毛支場に、この記念碑は建てられています。種子島での水稲早期栽培に関する記念碑です。その記念碑には、次のような碑文が刻まれています。

 碑文
 水稲早期栽培記念碑
   鹿児島縣知事 重成 格書

熊毛郡水稲早期栽培由来記

 熊毛郡従来の晩期水稲作は 颱風、早害、
虫害等の危険が伴ひ勝ちで 不安定なうえに
反収も極めて低く、殊に昭和の初期に至って
は、三化螟虫被害のため収穫皆無の惨状すら
現出したので これが對策は農業經營上、ひ
いては本郡經濟安定の上から焦眉の問題とし
て強く要望されたところであった。この時に
あたり昭和八年から事業を開始した鹿児島縣
農業試験場熊毛分場の初代分場長大竹山森右
衛門氏は稲作作式改善に没頭され、関係職
員一体となり綿密周到な研究調査を継續實施
した結果、早期栽培が理論的に可能で、且つ
有利であることが結論づけられた。そこで昭
和十一年より同分場において早期栽培の試験
研究に着手し、適品種の選定、育苗及び栽培
試験を継續する一方西之表町安納 現和 中
種子町熊野 南種子村平山の四ヶ所に集團試
作地を設置し 熊毛支廳、熊毛分場 熊毛郡
農會及び町村役場 農會等一丸となって濃厚
適切な指導を加えひきつづき二ヶ年試作をな
した結果、分場に於ける試験の成績も各試作
地の成績も共に良好であったので 昭和十三
年度からは一般に普及する運びに至った。
 当時の熊毛支廳長谷村秀綱氏は 同事業普
及の重要性を鑑み自ら陣頭に立ち、郡内関係
技術陣を總動員し啓蒙普及指導の徹底に乗り
出し、水稲早期栽培全面普及を圖った。
 然し当時は尚早期栽培の眞價を疑うものも
多く異論百出しこれが説得と普及には並々
ならぬ苦心と忍耐 努力を要したが全力を傾
注し目的達成に邁進すると共に、一方縣費支
弁による短期指導員を熊毛分場において實地に
指導育成し、これを各町村へ配置して技術指導の完璧を
期した 而して昭和十三年度は種子島全水田面積の
約二分の一程度の切替をみたが、その成績も
良好であり早期栽培の有利性が立証されたの
で、更に推進に拍車を掛け昭和十四年度は種
子島全部の水田が早期栽培となり、昭和十五
年度は屋久島地區へも普及を計り、越へて昭
和十六年度には郡内全部が早期栽培の普及を
見るに至った。特にこの年は氣象條件にも恵
まれ未曽有の豊作で 早期栽培は全農民の謳
歌するところとなり その基盤は確立し こ
こに数年來関係者一同の血と汗の結晶は報い
られ實を結んだのである
 ここに我等は本郡水稲早期栽培確立につい
ての先輩各位の苦労を偲びその功績を讃へ
これを後世に傳へんとするものである。
    昭和二十九年四月一日
        熊毛郡水稲早期栽培顕彰委員会

 碑文は以上です。