孝子弥五郎碑

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大変な親孝行者だった弥五郎に関する碑

孝子弥五郎碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市現和小学校
【撮影日時】
2008年1月19日/10時41分

 西之表市立現和小学校の校庭の一角に孝子弥五郎碑があります。現和庄司浦に住んでいた弥五郎は、大変な親孝行者だったといいます。記念碑には次のような碑文が刻まれています。

  碑文
孝子弥五郎碑   従四位男爵種子島守時篆額
孝徳之本也移之?君則忠移之於人則順壙之充之無往不′フ聖人?教以孝為先如我郡孝子弥五郎者可以為則矣弥五郎為現和庄司浦漁天事母至孝自温清甘?以至耳目之楽盡心奉養一以承難為念有一女袈裟亦孝順類父是以一家和楽穆如春風郷人感其孝皆師父親之而弥五郎謙仰不敢自居也當謂人曰小人得刈茅編篷以自活孝邑主之恩也因毎歳獻篷二十吏具状以聞邑主種子島氏賞其篤行賜米貮石實寳暦十四年六月也既而稟之国主島津氏亦以明和五年正月頒賜廩米六石於弥五郎及袈裟以旌表之至之父子孝義著于郡国厥後母以天年終弥五郎哀毀骨立日拜墳墓事死如生云鳴呼誰謂弥五郎不学乎其盡子職自然合?垂範後世以接網常雖学士大夫不能跂及可不崇尚哉相傳弥五郎家有躑躅花花時将出門必謂母曰今日花上蝶来有幾請母試数之以待兒歸也盖托兒?以慰?門之情興老菜子兒弥五郎又憂毎雨互門前泥濘母老艱歩及甃石作砌以便行歩其盡心概如此弥五郎没百数十年于茲蛋婦樵夫過其故宅徘徊花木荅砌間往往有涙下者亦豈非民之秉?不期然而然者邪門人濱田盛一為現和小学校長篤實好義最慕弥五郎孝義因興里中青年会員及婦人会員胥謀建碑校内使子弟有所效法請攵於予予深喜斯挙之有?風教義不敢辭銘曰
砌石如?花木猶新觀者起敬聞者?神物不足貴貴在其人維国之寳希代之珍小子勿伐用叙?倫
   大正二年癸丑六月  豊山前田宗成撰 平山武緝書

大正三年三月十五日謹建
現和青年会
現和婦人会
彫工 川口盛行

碑文は以上です。文章の中で、?は読めない字、或いは変換不能の字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。