広田遺跡に関する碑
最近、新聞やテレビにも広田遺跡の話題が出て注目を集めています。今年も現地で説明会などがありました。何かと話題の多い広田遺跡ですが、その発掘するにあたっての状況が遺跡公園に建てられている記念碑に書かれていますので、碑文を紹介します。
廣田埋葬遺跡
九州大学教授 金關丈夫謹書
この遺跡は昭和30年9月におそった台風22号の潮害によって散乱していた人骨を広田部落の長田茂氏が発見したことから広田遺跡調査団(金關丈夫、国分直一、盛岡高孝等の諸氏)が組織され文部省助成金並に広田部落の協力によって昭和32年から3ヵ年約100日間を費して発掘したものである。
調査の結果、このいせきは弥生式時代の中期から後期に及ぶ埋葬?で中国古代の「葬玉」や南方の「集骨埋葬」の二型式の埋葬習俗のあった珍しいいせきで発掘された人骨の数は100余体にのぼっている出土品にはとぼしい数にのぼる貝製品があり中国古代に発行した「トウテツ数」の彫画のある「貝符」やとりゅう?」などの貝器が発見されたのは日本ではこのいせきだけであるなお貝器の一つに隷書体できざまれた「山」の字は日本最古のものとして貴重な資料である紀元一世紀前に大陸文化と南方文化を受容してすぐれた文化がこの地で栄えたということをものがたるこのいせきは日本の古代文化を解明する上での重要な遺跡である
昭和38年3月建立 町長 鮫島ニ男丸
碑文は以上です。文章の中で読み違いもあるかもしれません。また、文で?は読めない字、或いは変換不能の字です。