昨日まで降っていた雨もようやく上がり、今日は晴天に恵まれています。今までの散策は、西之表市内が中心でしたが、今回は初めて南種子町の散策をすることにしました。天気は快晴なのだが、風が強いようです。いつもの諸道具を愛用の手提げに入れ、一路種子島宇宙センターまで車で目指しました。宇宙センターの科学技術展示館前の駐車場に車を置いて、タクシーで南種子町浜田の吉助橋まで戻ることにしました。
しばらく待っているとタクシーが来ましたので乗車して降車場所を告げました。「浜田の吉助橋までお願いします」と言ったところ、「お客さん、よく吉助橋を知っているね」と言われまして、私も褒められたような気がして上機嫌になってきました。色々雑談するなかで、「種子島が最南端の植物があるよ」と聞かされ、早速そこによって場所を確認することにしました。県道からすぐ近くの川で、散策の後写真など撮ることとしました。何だかんだと話が弾むうち、吉助橋に到着です。
この吉助橋があるところは、中種子町と南種子町の境界場所です。現在この橋は、間をおかないで二つあります。中種子よりから「吉助橋」その次が「第二吉助橋」です。その橋との間の道沿いに、「豊受水神」、「大浦湾埋立記念碑」、「坂口吉助翁顕彰碑」が並んで建てられています。どうして、現在の橋が「吉助橋」になったかは、この顕彰碑を読むと分かります。その顕彰碑を紹介すると、
「昔時、平山熊野間の往還を貫流する大浦川には、橋がなく潮入川のため満潮時には人馬の往来ができなかった。日露戦役が始まるや熊野神社に出兵兵士の武運長久を祈る参拝者がふえその不便は日に余るものがあった。かねてから架橋の志があった吉助翁は次男の出征を機に工事を起し独力で木橋を完成した。ときに明治37年9月のことである。翁は昭和4年86歳で大往生を遂げたがその美挙は後世に語りつがれいつからともなくこの橋を吉助橋というようになった。昭和42年1月建立 平山区」
このように書かれています。大変な苦労をして完成させたんだな〜と感心しながら手を合わせていました。
ここから宇宙センターを目指しての散策が始まるのです。この吉助橋を過ぎると、右手にはメヒルギがたくさん生息しています。ここだけではなくこの橋から南にず〜っと続いているのです。種子島のなかで広大なメヒルギの生息場所です。ここのメヒルギは南種子町の名所・風景で紹介していますので、そちらで確認してください。橋から県道75号線を南に歩き緩やかな右カーブを過ぎると、右側に「大浦塩田跡」の標柱が立っています。その場所に行くと、沖にコンクリート製のものがあちこち見えています。遠くからでどんなものなのかよく分かりにくいです。この跡地は町選定の文化財になっています。メヒルギも眺め大変景色もいいところです。
県道に戻りさらに進むと、三叉路があり左に行くと「千座の岩屋」に行くことができます。ここを過ぎると、両サイドには田んぼが見えてきます。道沿いには、キョウチクトウ、アキグミ、シャリンバイなどの花木が、ジシバリ、ウマノアシガタ、ハマダイコンなどの草花がたくさん咲いています。すでに田植えも終わり苗も15センチほどになっています。時折、茶色のバッタも飛んでいます。バッタはいつでもいるんだと思い、そのまま進んでいます。しばらく進むと、右手の道沿いに「森林資源モニタリング調査 調査地点入口」という標識があります。この近くで森林の調査をやっているのかと思いながら通りすぎると、名前のない橋があります。左から右へ流れています。ここを過ぎると、また広大な水田が続いています。ここから、南東方向には平山小学校も見えています。
しばらく進むと、高見橋があります。川は大浦川です。この橋を過ぎると、三叉路があり、真直ぐ行くと「長谷」「茎永」、左は、広田を経由して種子島宇宙センターに行くことになります。左はすぐ橋で山田橋です。この橋付近はスギナ、スカンポ、ジシバリ、カタバミなどたくさん咲き乱れています。その先には、ママコノシリヌグイが湿っぽいところに咲いています。また、水田にはカエルが鳴いています。おそらくこの周辺は、夜になるとカエルの大合唱になるのではないかと思いました。
道端の草花を見渡しながら、カーブの多いこの道を進んでいます。特に珍しいものもなく進んでいくと、右手に広田公民館があります。これを過ぎると、広田橋が架かっています。すぐ橋の袂に豊受水神の碑を建てています。高さは50〜60センチ前後で前にはお神酒をおくところもあります。この平山の人たちは稲作が主なので、水の神様を祭っているようです。大事にしていることが分かります。そこを過ぎると、左に「広田石塔祭り」の町文化財の案内板があり、石塔祭りのことが次のように紹介しています。
「祭場があり、共同の祖先の霊を祭った石塔にその地域の人たちが集まって供養するお盆の行事です。祭りは毎年8月15日、午後5時頃から行われ、各家から小かごにバショウやエンガ(ホウセンカの花)などきざんだもの、マキ(ハナミョウガの葉に米の粉をくるんで作った一種の団子)、線香などを入れ、棚において供えします。そして、師匠の読経の中、参加者がそれぞれ祖先の霊に参拝して祭りは終わります。お供えしたマキを一本ずつ食べて帰るしきたりになっておりこれを食べるととても元気になるといわれています。」
このように説明が書かれています。私も一度も見たことがないので、その場所を見ることにしたのです。小さい階段を上がると入口に石塔祭りの標柱が立っています。その先に竹で作った四角な祭壇らしきものがあります。その後ろに石塔が置かれています。写真で確認してください。 写真も撮り終わりここを後にして、次の広田遺跡の場所へ向かいました。この広田遺跡は新聞でも紹介され再び注目されてきました。海岸沿いに作られた広田遺跡公園があります。その公園の北側に遺跡があり、標柱が立てられてあります。残念ながら、この遺跡で発見されたものは、ここにあるわけではありません。鹿児島の黎明館で展示されているのです。したがって、場所などを確認できることくらいです。その公園には、遺跡の案内板や廣田埋葬遺跡の碑があり、出土品など説明が書かれています。要約すると、
「昭和30年9月に襲った台風22号の潮害によって、海岸に散乱していた人骨を広田部落の長田茂氏が発見したのが最初で、九州大学の教授を中心にその調査団が結成され、文部省の助成を受けながら、約三年の月日を費やして発掘した。調査の結果、弥生時代の中期から後期に及ぶ埋葬杜で中国古代の埋葬習俗のあった珍しい遺跡であった。また人骨は100余体にのぼっている。出土品に貝製品があり、中国古代に発行した「トウテツ紋」の彫画のある「貝符」などの貝器が発見されたのはこの遺跡だけである。そして、貝器の一つに隷書体できざまれた「山」の字は、日本最古のものとして貴重な資料である。」 とのことです。
この公園の前は、急カーブになっていて公園と反対側に岩穴があります。この岩穴も南種子町の天然記念物になっています。簡単に説明すると、
「岩穴は乾燥浴で「サウナ風呂」のようなもので、穴の中で火を焚き中を暖めておき、中央に焚き火の残り火を集め、小枝や柴、ゲットウの葉、バショウの葉などを敷きつめて入浴者はその上に座ります。そして、ワラで作ったフタで入口を密閉し、10〜20分ほど入浴して発刊を促していきます。この岩穴焚きは古くからあった民間の入浴療法で、10〜15日間の療養期間で「ヒエヒキ」「リューマチ」「神経痛」などに効果があったといわれています。」
この岩穴の上に、何かを祭ってあるらしく、おじさんがお神酒やその宮の掃除をしていました。そのおじさんにこの岩穴のことを聞いたのですが、大変年を取られており、確かなことは言えないのですが、「この岩穴の風呂はいつごろまで使っていたのですか?」と聞くと、
「そうじゃな〜、25年位前まで使っていたんじゃないか」とのこと。
ここを過ぎると、左は広田漁港です。この周辺も景色がいいところで、「種子島の海岸」、「南種子町の名所・風景」でも広田海岸とか、宇宙センターの写真を掲載していますので、そちらもご覧ください。
阿武鋤橋を過ぎると、種子島宇宙センターの構内道路となります。ここから5差路交差点までは、ほとんど上り坂です。両サイドには、ナデシコの色違いの花をたくさん植えてあり、その鮮やかさに人目を引きます。当然のことながら、構内は全て禁煙となっています。道沿いには、ニワゼキショウなどの草花のほか、シャリンバイ、ヤマモモ、山ハゼ、イヌビワなどたくさんの花木が生えています。特にヤマモモは、たくさん実を付けており、5月に入れば相当熟れてくるような感じです。曲がりくねった道を草花を見ながら歩いていると、風が強いせいか、樹木のざわめきが少々うるさく聞こえてきます。ハマボウフウ、アカメガシワ、カラスノエンドウ、カタバミ、トベラなどたくさん生えています。マテバシイも少し新芽を出しています。
そのうち、5差路の交差点に着き案内板を見ると、左に行くと、大崎射場。右は、第2衛星組立棟、衛星フェアリング組立棟、衛星試験棟のほか、大崎発電所やロケット関連会社の事務所などがあります。さらに進むと、三叉路があり、左は燃焼試験場、吉信射場、総合管制塔などがあります。この道路沿いには、いくつかの支援棟などもあります。さらに進むと、急な上り坂となります。道沿いには、ヒルザキツキミソウがきれいに咲いており、花を見るたびに元気が出てくるようです。しばらく進むと茎永からの道と突き当たり、展示館がある場所の左に進むこととなります。この道もカーブが多くて、また、下りや上り坂の激しい道なのです。ず〜っと進むと、ロケットの丘展望所が左にあります。ここから吉信射場や発射整備塔、その周辺が一望できるようになっています。景色も素晴らしいところです。
さらに進むと第4光学観測所が左側にあります。ここを過ぎると、灯台や携帯電話の無線基地局などが左にあります。ヒルザキツキミソウやナデシコなどの草花もたくさん咲いています。またシャリンバイが咲き乱れて心いい匂いを振りまいています。そのうち竹崎海岸が見えてきて、終点の宇宙科学技術展示館はもうすぐです。右には、事務本館や総合指令棟などがあります。この前の道路からは、竹崎海岸を一望できる場所です。広場には、H−2ロケットの実物大の模型を横向きにおいています。この写真は壁紙ダウンロードできるようにしています。砂浜や海、そして沖の小島も点在し、景色も素晴らしいところです。普段は車でちょこっと降りて見るくらいですが、歩きながら景色を眺めるのもとてもいいものです。今回の散策は私にとっても10キロを超える道のりとなり、少々足の痛さがでてきた散策でした。
※散策日:平成18年4月16日
「浜田」平山吉助橋をスタート←写真1枚目
↓←写真2枚目
「仲之町」平山
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「西之町」平山
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「広田」平山
↓←写真3枚目
「広田遺跡」茎永松原←写真4枚目
↓←写真5枚目
「広田漁港」
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五差路交差点通過(種子島宇宙センター)
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三叉路通過(種子島宇宙センター)
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展望台前通過(種子島宇宙センター)
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「カーモリ展望所」(種子島宇宙センター)
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「竹崎」茎永〜宇宙科学技術展示館終点