坂口吉助翁に関する碑
中種子市街地から県道75号線を南種子に向かって走り、熊野を過ぎると小さな橋が連続して2つ架かっています。この橋の名前は吉助橋です。南種子町よりが第二吉助橋です。橋付近に「坂口吉助顕彰碑」が建てられています。
この橋については、「ふるさと散策」の「吉助橋〜種子島宇宙センター」でも詳しく紹介しています。そちらもご覧ください。この顕彰碑には次のように碑文が刻まれています。
坂口吉助翁顕彰碑
昔時、平山熊野間の往還を貫流する大浦川には、橋がなく潮入川のため満潮時には人馬の往来ができなかった。日露戦役が始まるや熊野神社に出兵兵士の武運長久を祈る参拝者がふえその不便は日に余るものがあった。かねてから架橋の志があった吉助翁は次男の出征を機に工事を起し独力で木橋を完成した。ときに明治三十七年九月のことである。翁は昭和四年八十六歳で大往生を遂げたがその美挙は後世に語りつがれいつからともなくこの橋を吉助橋というようになった。
昭和四十二年一月建立 平山区
碑文は以上です。なお、読み違いがあるかもしれません。ご了承ください。