山林下戻しに関する碑
中種子町納官竹之川の塩屋神社の右にこの記念碑があります。明治時代に農地改革があり、その時の山林下戻しに関係した記念碑です。記念碑には次のような碑文が刻まれています。
記念碑
當竹ノ川塩屋牧ハ南ハ猿上川上リ大門迄北ハ脇ノ川上リ横大道迄トシテ文政十二年竹野家春田家ノ祖曰我氏ニ旧領主ヨリ譲興ヲ受ケ塩炊キヲ専業トシ島主ニ年貢トシテ是ヲ献上シタルニ始マル
然ルニ明治十二年地租改正ノ際殆塩屋牧ノ全部ヲ上地シ僅ニ深久保ノ一部ヲ有シテ塩屋牧ノ命脈ヲ維持セシメタリ後竹野甚八仝千助仝勘之丞仝甚七仝伊七次春田喜七仝甚七仝寅次郎竹野利七等牧人ノ発企ニテ明治二十九年七月五日他ニ率先シテ縁故地トシテ時ノ加納本縣知事ニ下戻ヲ申請セリ其際甚八日高藤八ヲシテ陳情ノ為郡役所ニ度々出頭セシメ??主務省其他ヨリ数回ノ実地調査ヲ受ケ羽生主右衛門氏等ノ助力ニヨリテ明治三十六年五月二十二日付ヲ以テ時ノ平田農商務大臣ヨリ全部ノ下戻ヲ許可セラレタリ依ッテ是ガ報酬トシテ日高藤八氏ニ幸良谷ノ一部ヲ羽生主右衛門氏ヘハ河ノ平字ノ全部ヲ譲興セリ是ニ於テ本塩屋牧創設者ノ子孫タル竹野春田両家ニ於テ管理セシモナリ
然ルニ其後ニ於テ竹野伊七次甚七利七春田寅次郎氏ハ株権ヲ譲渡シ橋野藤市井上重定氏ハ株権ヲ譲受ケ現在ニ至レリ
昭和二十二年以来農地改革ニ先駆シ益々土地ノ利用ヲ励ミ今日ニ至ル茲ニ沿革ノ大要ヲ録シテ後昆ニ傳フ
昭和二十四年十二月二十五日 竹野甚太郎誌
碑文は以上です。文章の中で、?は変換不可能な文字です。なお、「大門迄」の「迄」の字は現代文字に変換しています。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。