横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑

第二十五代横綱西ノ海に関する碑

横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市川迎日典寺境内
【撮影日時】
2006年10月8日/7時55分

 種子島から横綱が誕生したことはあまり知られていないと思います。第二十三代横綱西ノ海は種子島の西之表川迎出身の力士でした。その横綱の顕彰碑が川迎日典寺境内に建てられています。資料によると、明治三十二年に十九歳で相撲界入りをしています。稽古を続け心身ともに鍛錬した結果、大正五年(1916年)三十六歳でとうとう横綱になり西ノ海を襲名しています。大正八年に引退。部屋を継ぎ、後進の指導に当っていましたが、その後相撲協会の不正事件があり、その責任を取ることにより自らの命を絶っています。そのとき五十一歳でした。顕彰碑はいつ建てられたかは分かりません。建立の日付が刻まれていません。また、顕彰碑には第二十三代と刻まれていますが、第二十五代の間違いです。顕彰碑に刻まれている碑文は次のとおりです。

 第二十五代
横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑
     二十一代木村庄之助事
        立田川重門書

記念碑裏面に碑文が刻まれています。次のように記されています。

第廿五代横綱二代目西ノ海嘉治郎本名
ハ牧瀬休八?東京市近藤家養子ト?
リ明治十三年種子島西ノ海川迎ニ生ル
廿歳ニシテ初代西ノ海門ニ入リ初代
星甲又錦洋ト稱ス當時・力士駒ヶ嶽ト
共ニ常陸山並ニ坂鉾・薫陶ニ受ケテ正
其・雨翼トナリテ??ニ守リ駒ケ嶽・
死後ハ朝潮?年寄高砂ト共ニ常陸山
ヲ助ケ常陸山・引退後大正五年横綱ニ
進ム・身長六尺一寸体量三十二貫大正七
年引退シテ井筒ヲ襲名ス検査役取締役
等・要職ニ任ゼラレルガ昭和六年死
去ス時ニ五十二歳真ニ惜ムベシ顧レバ
第二次世界大戦ニ惨敗シテ以来今ヤ十
々隆盛ニ赴ク此中ニ眞意ヤルニ思ニ?
ジ今正ニ君ガ感ジタル偉業ニ高々抑ズ
並ニ下西区民並ニ井筒部屋関係力士行
司一同八起人トナリ角道同好者ヲ始メ
愛島愛郷ノ士ト相謀リ此地ニ選ンデ碑
ヲ建テ君十芳名ニ後世ニ傳フ

碑文は以上です。判読できない文字や変換できない文字などあります。また、誤って読み違えていることもあります。ご了承ください。

※ 西之表市下西川迎の日典寺境内に建立されている「第二十五代横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑」を紹介しています。この動画の中には、国道58号線川迎日典寺入口前通り、日典寺入口付近、第二十三代横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

第二十五代横綱西ノ海嘉次郎顕彰碑 西之表市下西川迎日典寺境内に建立 - 種子島の記念碑

2014.3.18〜