種子島落花生栽培初地之碑

落花生栽培初地に関する碑

種子島落花生栽培初地之碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市現和JA種子・屋久現和支所
【撮影日時】
2006年9月23日/13時34分

 この種子島落花生栽培初地之碑は、JA種子・屋久農業協同組合西之表事業本部現和支所の倉庫横の市道側に建てられています。現在でも種子島では、たくさん落花生を栽培しています。その種子島で落花生が初めて栽培されたのは、西之表市現和校区です。それを記念して石碑が建てられていますので紹介します。

 種子島落花生栽培初地之碑
 鹿児島縣知事 寺国勝志書
落花生ノ原産地ハ南米ブラジルデ我国ニハ宝永三年支那ヨリ傳ケリ唐人豆南京豆蕃豆ソコ豆地ト広イ小粒豆デ製油用デ現今一般栽培シテルノハ大粒デ明治七年 農商務省カ米国カラ輸入シタモノデ当地ニ栽培セルモノハ比種類デアル鹿児島縣デハ琉球ヨリ山川ニ渡リ山川ヨリ肝属ニ来タリ鹿屋地方ノ特産物トナツタノデア ル時ニ医師最上宏氏ハ大正三年春村内第一農地広大ナル現和区ヲ撰ビテ農園ヲ開キ医療奉団ト同時ニ理想農園ヲ建設シタイ希望ヲ以テ現和 ニ開業サレタ当時現和全土ニヨリ腸チフスガ大流行約百余名ノ羅病者ヲ出シ困窮セル農民ヲシテ益々苦難ノドン底ニ打込ミ殆ド言語ニ絶スル惨状ヲ極メテ居ツタ当時農民ハ砂糖作以 外ニ換金作物ナク今日ノ如ク煙草耕作ナク米作麦作作ノ肥料購入資金ナキ窮状デアツタ然シテ甘農作ハ読谷山種デ三年キビ逅栽培シタノデ其跡ハ地質?渇シ何物ノ 栽培モ不可能デ只土地廣キヲ幸ニ三・四年切カニ畑トシテ荒シナガラ休作シ土地ノ不経済ヲクリ返シテ居ツタノデアル最上氏ハ此現状ヲ見テ其対策トシテ?セ地ヲ 好適当地トシ収穫後ハ其土地ヲ肥ヘ地トナス豆科植物且ツ換金作物ナル落花生ニ着眼シ一挙両得ノ栽培ヲ考出シタノデアツタ然ルニ当地ニハ種干用ノ落花生モ ナク且又種子購入ノ資金モナイノデアツタ依テ最上氏ハ大正四年三月肝属鹿屋地方ガ其生産地ナリヲ知リ同地方ヨリ其種子購入ヲカネテ懇意ナル西之表町西町穀 物商中村直次郎氏ニ謀リ現和四百余戸ニ栽培セシムルノデアルカラ最低三十五石種子用トシテ是非取リ寄セ貰イタイ且ツ其代金モナイカラ此収穫期十月其倍 額七十石ヲ返済スル而シテ此落花生ハ将来西之表ハ勿論熊毛郡ニ発展シテ郡ノ特産品トナリ君等商人ノ金儲ノ一大基礎トナルコトヲ確信スルト説門シタノデ アツタ幸中村氏ノ快諾ヲ得テ四月鹿屋ヨリ種子三十五石ヲ取リヨセ現和区会ヲ開キ区会議員一同ノ熱心ナル協力ヲ得テ区民ヲシテ栽培セシメタノデアツタ種子代 ハ現金デ取ラナイデ十月ノ生産物カラ各区民ノ栽培種子量ノ倍量ヲ出品サセタノデ其年十月ニハ中村氏ハ三十五石ノ倍額七十石ヲ完済シ得タノデアツタ然シテ之 ガ栽培ニ当ツテハ区民ノ内ニハ鳥ノ害等ニオイテ色々反対モアツタガ其間最上氏ハ鳥害予防法ヤ栽培方法等ノ市道ニ奔走サレ万一円満ニ栽培ヲ完了シタノデアツタ当時最上氏ハ三十一才ノ元気ナ青年村会議員デア ツタ其後落花生ノ栽培ハ盛大トナリ価格モ高価トナリ現和ハ勿論隣区ニ拡ガリ隣村ニ及ビ現在デハ熊毛五ヶ町 村ガ盛ニ栽培生産スル様ニナリ今ヤ熊毛郡全部ノ生産量七千石ニ及ビ其代金四千万円ニ達シテ居リ熊毛特産ノ優秀ナルモノ一トナツテ居ル落花生栽培ノ 由来ヲ記シ最上宏氏ノ功績ヲ表彰シ現和区民先輩諸氏ノ業績ヲ永遠ニ記念スベク記念碑ヲ建立スルモノナリ
                  昭和三十三年三月     現和区民一同          建設者代表  現和区長 羽生乙彦 区長代理 江口 静
                    建設委員長    迫田末永 建設委員 下村文治  建設委員 田頭三郎   建設委員 下村照夫   石工 鎌田新七
                    副委員長兼工事係 西門国男 同    長田幸四郎 同    相良虎雄 校区会計 西門 覚
                    委員兼会計    榎本 実 建設委員 山野敏明  同    橋元 新               羽生乙彦謹書

 碑文は以上です。文章の中で、・・・、?は読めない字、或いは変換不能の字です。なお、碑文に読み違いがあるかもしれません。

※ 2020年(令和2年)2月11日(火)に取材した西之表市現和下之町JA種子屋久現和出張所に建立されている落花生栽培初地に関する記念碑「種子島落花生栽培初地之碑」を紹介しています。この動画の中には、田之脇石堂線JA種子屋久現和出張所へ通じる入口通り、記念碑前通り付近、種子島落花生栽培初地之碑の碑文及びその周辺の風景などを収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島落花生栽培初地之碑 西之表市現和下之町JA種子屋久現和出張所に建立 - 種子島の記念碑

2014.3.18〜