原捨思先生に関する碑
浦田は、種子島最北端の漁港です。西之表市街地から県道581号線を北に向かって走ること約20分でこの漁港に着きます。たいへん長閑な場所で、天気がいいと大隈半島もすぐ近くに見えています。その漁港近くに原捨思先生の頌徳碑が建てられています。この先生が何をなさったかは、碑文を読むと分かってきます。その碑文は次のとおりです。
原捨思先生頌徳碑
浦田港沿革
明治四十年 地元民により護岸工事
昭和二十三年七月 地元青年により灯柱設置
昭和二十五年三月 港内の河口に導水提築造
昭和ニ十九年十二月 防波堤、護岸及倉庫建設
昭和三十年十月 第一種漁港の指定を受く
昭和三十年十月 港内防波堤完成
昭和三十七年十月 第四種漁港に昇格
以降 公費をもって港内防波堤、港内護岸工事に
着工 昭和四十九年九月港内の浚渫を
経て漁港の整備進行中
部落現勢
人口 二八一人
戸数 八一戸
漁船数 二七隻
建設委員(九人)
撰文 平山武章
書 平山武章
彫刻 花木友安
昭和四十九年十月吉日建之
碑文
種子島唯一を誇る我が浦田の地曳網によるキビナゴ漁、これは実に大正末期、先生が自ら居を此所に移して導入し指導されたものであります。これにより以来浦田は豊漁に恵まれ、漸次経済基盤も安定して、かの終戦に伴う恐慌の嵐の中にも、独り実富を保ち得たのであります。これこそ偏に先生の語彗眼と、私心を離れた御尽力の賜物であります。更に先生の浦田への限りない御温情は、浦田の第四種漁港昇格への力強いご支援であります。当時、先生は全国漁港協会副会長、鹿児島県漁港会長の枢機に在られ、大局的見地に立って、進んで政府要路との接渉に当られ、よく其実現を見たのであります。まさしく先生あっての浦田は今日あるを得たのであります。私共は常住、先生の高潔な御人格を敬仰しつつ、又、高邁な御誠見への感銘を日に新たにするものでありますが、此の真情を石に刻み、御功績を千載に伝えるとともに、報恩の万一を表すものであります。
碑文は以上です。文章の中で、間違って読んでいることもあるかもしれません。
※ 西之表市国上浦田漁港近くに建立されている「原捨思先生頌徳碑」を紹介しています。この動画の中には、県道581号線浦田漁港入口付近、浦田漁港入口付近、原捨思先生頌徳碑の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。