酒井弥三郎氏に関する碑
写真の場所は、西之表市鴨女町鴨女町公民館の敷地内に建てられている顕彰碑です。酒井弥氏は実業家で、鴨女町公民館建設に関し、ご遺族の方が多額の寄付をされ、人の為世のために尽した方です。公民館の北側にこの碑があり、次のような碑文が刻まれています。
酒井弥三郎翁顕彰之碑
酒井弥三郎氏(一九〇八−八七)は西之表市西町に生まる。つとに実業界に身を投じ合名会社酒井弥商店他数社を設立経営し、いずれも成功に導き、一代にして巨額の財を成した。
鴨女町公民館建設の議おこるや率先賛同し、建設推進の先頭に立たれたが、こと半ばにして死去された。
ご遺族三十数名は、酒井博、清水貞雄両氏を中心に協議の末、故人の遺志を体し鴨女町公民館建設資金として多額の金品を寄付せられた。
ここに顕彰碑を建立し氏の遺徳を後世に伝えんとするものである。
昭和六十三年四月吉日
西之表市鴨女町町内会
裏面の碑文は次の通りです。
公民館建設の由来
鴨女町内会は昭和33年4月宮根光治会長以下
百数十世帯で発足した。当時、地域活動の拠点
となる公民館が無く不自由でしたので昭和46年
東親敏会長は市に要請して児童館を誘致し、会
員の篤志寄付壱百数十万円をつのり、市に納め
公民館としての併用許可を得た。
冠婚葬祭、社会体育活動等は児童館を使用する
ことに制約があったので、昭和53年矢野正男
会長は公民館建設を提案し、将来、資金積立を
重ね、壱千数百万円に達したので、昭和62年野
口末吉会長は町内会創立30周年を期し、公民
館建設を提案し、総経費四千三百万円をもって
昭和63年4月完工した。
建設当時の役員は次のとおりである。
建設委員長 町内会長 野口末吉
建設副委員長 町内副会長 田口光臣
同 阿世知重成
会計 中久保宗徳
事務長 河野昌行
総務部長 矢野正男
資金部長 廣田勇吉
幸蔵部長 宮崎一徳
記念誌部 下玉利良子
昭和63年4月吉日
碑文は以上です。なお、読み違いがあるかもしれません。
※ 2019年(令和元年)12月29日(日)に撮影した西之表市鴨女町公民館にに建立されている「酒井弥三郎翁顕彰之碑」を紹介しています。この動画の中には、国道58号線鴨女町公民館入口付近、公民館前通り付近、酒井弥三郎翁顕彰之碑付近、酒井弥三郎翁顕彰之碑および公民館由来の碑文及びその周辺の風景などを収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。