島間小平山地域に伝承されている郷土芸能のヤートセー(伝七口説)です。一般的にヤートセーは口説踊りと言われています。種子島の中で、特に南種子町には全域に伝承されています。小平山のヤートセーの特徴は、竹の笹を本踊りのときは、左腰に差し、引端のときは、右手に持って踊ることです。他の地域にはないものとなっています。
男性踊り子の服装は、黒地の衣装姿が基本になっています。手ぬぐいのハチマキをして、色鮮やかなたすきがけ、そして黒足袋でワラジを履いています。一方女性の踊り子は、頭にハチマキ、そして鮮やかな衣装姿にたすきがけで艶やかさがひときわ目立っています。なお、踊り子全員左腰の帯に竹の笹を差しています。
ヤートセーは出端、本踊り、崩し、引端から構成されています。出端は太鼓、鉦は右前方から、踊り子は左前方から一列縦隊で、次第に二重円の隊列になっていきます。太鼓二人、鉦一人、小鼓二人は内側の円で時計方向に、踊り子は外周を反時計方向に前進しながら本踊りを踊っていきます。
写真一枚目は本踊りの様子です。ヤートセーも地域によって、ずいぶん踊り方に違いが見られます。「ヤートセー」の歌詞が出たときに、内側あるいは外側を向き、左手を垂直に曲げ、そのとき右手を水平に左ひじに添える踊る瞬間は出てきません。他のヤートセーと大きく違う部分です。
男性の踊り子十三人、女性七名、囃子五名の合計二十五名で踊ってくれました。踊りに派手さはありませんが、静かで優雅な手踊りです。女性も混在しているので、色気のある踊りを楽しませてくれました。特に女性の踊りは、艶やかさの中にも哀愁も感じられ、しとやかな雰囲気に包まれています。
写真は、ヤートセーの出端です。一列縦隊で、二つに分かれて入場します。そして、円形の隊列になります。踊りは、反時計方向に移動しながらの手踊りです。 | |
写真は、鳴り物の鉦と入鼓です。このとき、ヤートセーの掛け声が出ています。鳴り物を、頭上に持ち上げています。 | |
写真は、ヤートセーの歌詞が出たときに、前進を一時止め、そのとき内側を向き、両手で軽く手を合せるヤートセー特有の仕草です。何か、拝むような感じもあります。ヤートセーの最も哀愁に満ち溢れた瞬間です。そのとき、中心部の鳴り物は、頭上で叩いています。 | |
写真は、ヤートセーの歌詞が出たときに、前進を一時止め、両手で軽く手を合せるヤートセー特有の仕草です。そのとき、中心部の鳴り物は、頭上で叩いています。 | |
写真は、ヤートセーの引端(崩し)部分の踊りです。左腰の帯に差していた竹の笹を持っての短かな踊りです。これが終わるとヤートセーの踊りも終了です。 |
さーてやさてさてさてその後は
京之大阪田辺屋町に
よろずかみやに武兵衛というて
武兵衛娘にその名はおつね
年は十六花ならつぼみ
立てばしゃく薬すわればぼたん
あゆむ姿は野百合の花よ
京や大坂絵描きはおれど
おつね姿は絵にゃ描きゃならぬ
それにおよんで恋召す人は
同じ並びの呉服屋殿よ
一人息子の伝七殿よ
文も度々三十や六度
やれどおくれど色ない返事
もしはこれから忍ぼうと思って
忍ぶその夜の伊達装束は
下にゃ羽二重その上やどんす
帯は流行し博多の帯を
三重に廻してきちそと結ぶ
印籠巾着小脇にさげて
伊達の脇差しょおとしにさして
足袋は雲斎八つ尾の雪駄
お顔かくしの深編笠よ
三節こめたるかん竹のつえ
しゃなりしゃなりと裏道を廻る
裏を廻りてぬる塀越えて
下女を頼んでふすまを開く
障子一重に立添うて見れば
内に行燈両脇ともし
斜子蒲団にちじみの枕
そこに立ちたはどなたの様か
別じゃあるまい伝七殿よ
雲に架橋 霞に千鳥
及びないこと召さりょやよりも
早く帰れよ伝七殿よ
そこで伝七涙にむせて
涙ながらも口説いてきかしょー
沖を走れし 大船丸も
波にもまれて港を頼む
笹にとまれし小鳥を見やれ
笹にゆられて一夜をあかす
小野(の)小町(の)少将殿は
百夜通いて一夜の情
わしも今宵で百夜でござる
私しゃ病人 そなたは薬
人を助ける ぼさつの神よ
長い口説きなら囃子手でも退屈
ここで切りましょー口説きの根をばさー
引端
志有志ーや せんげの町
掃わきそうじゃいらんー
※ 2019年10月6日(日)、南種子町島間向方神社の秋季大祭で奉納された小平山集落に伝承する「ヤートセー」を紹介しています。この動画に中には、ヤートセーの出端、本踊り、くずしを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島の伝統芸能:ヤートセー伝七口説島間小平山集落向方神社秋季大祭での奉納踊り2019年】