茎永校区上里地域に伝承されている「げんごばぁ」です。この踊りは、いつごろどのようにして伝えられてきたかは不明ですが、おそらく修行僧が善林寺で修行の合間を見て伝わったと言われています。
「げんごばぁ」の踊りは、三部構成(出端、本踊り、崩し)になっており、太鼓一人、鉦一人、源吾爺、源吾婆のほか、面をかぶった踊り子で披露してくれます。「げんごばぁ」は、踊る仕草や源吾爺、源吾婆のこっけいでひょうきんな面白さがあります。祭り会場で観衆の笑い声など多く聞こえていました。
二部の踊りが終わると、源吾爺と源吾婆がこっけいな仕草で、入場してきます。ときには、源吾爺がずっこけたりもします。写真一枚目が、その入場の様子です。入場が終わると、最後の踊りが始まります。
写真は「げんごばぁ」の出端の部分です。ここで、二人の踊り子がひょうきんな踊りを見せてくれるのです。写真は、鳴り物の太鼓と鉦です。 | |
写真は「げんごばぁ」の出端の部分で、若い修行僧の「まんた」と「しゅうた」が踊っているのですが、芸舞がうまく合わずあばくれます。 | |
そして、お師匠さんの鉦を借りてユーモラスに踊っている様子です。これが終わると、修行僧全員が、踊る隊形に入場します。 | |
写真は「げんごばぁ」の二番目の踊りです。面をかぶった行者が、安芸の宮島で尺八を見て殿様の面影を思い出し舞う踊りです。 | |
二部目の踊りが終わると、源吾爺と源吾婆が入場してきます。源吾爺と源吾婆が薩摩山に登りて、ふもとで孝十郎が、夏に干すべき布を冬に干している様子に異様な感じを持ち、爺と婆が舞う踊りです。 | |
最後の踊りが終わると、行者は退場するのですが、源吾爺と源吾婆は残り、あばくれそうになります。行者が早く連れ帰ろうとしているところです。 |