平山西之町に伝承されている源太郎踊り(げんだらおどり)です。源太郎踊りは、種子島の各地に、この源太郎踊りに似た郷土芸能がありますが、西之表市住吉から広まったと言われています。
源太郎踊りの由来は、歌詞の二番に「山口おどりの源太郎よ」とあることから、源太郎踊りといわれるようになったといいます。また、地域(茎永)によっては「山口踊り」とも呼んでいます。
源太郎踊りの男性の服装は、頭に笠をかぶった踊り子が十人、太鼓十六人が小太鼓や鉦を持っています。笠をかぶった踊り子七人は、黒の着物を着て鮮やかな片タスキをしています。
一方、太鼓を持った男性の踊り子は、色鮮やかな着物を着て、頭はハチマキ、白地のズボン下にケハンをしてワラジを履いています。女性は二十人くらいで、黒の着物で鮮やかな片タスキをして、日の丸のセンスを持ちワラジを履いています。総勢四十五〜六人で奉納していきます。
六列縦隊で太鼓や鉦を叩き、長者殿を唄いながらゆっくり入場してきます。最初は横の隊列になっていますが、次第に円形の隊列になったり、色々変化していき踊りも盛り上がっていきます。
太鼓や鉦の数も多いので、大変にぎやかで古式床しき、時には優雅さや哀愁も感じられます。また、女性も加わっていますので、踊りに艶やかさや色気もあります。見ごたえのある郷土芸能です。
太鼓の音、鉦の素朴な音、艶やかな衣装姿、どれをとっても哀愁に満ち溢れています。派手さと地味さとが混ざっており、よくバランスが取れており、華やかな中にも、女性のしとやかさも感じられる素晴らしい踊りを堪能させてくれました。今回、19年ぶりに復活された源太郎踊りです。
写真は、出端での外周女性の踊り子です。センスを持っての手踊りは哀愁に満ち溢れています。なお、本踊りでは、外周は時計回りに移動します。 | |
写真は、内周の太鼓です。踊る組によって、円形担ったり、対面になったりします。 | |
源太郎踊りの隊列は、円形の隊列、水平の隊列により踊られています。写真は、対面の太鼓同士が入れ替わっているところです。いわば、崩しになるでしょうか。 | |
女性踊り子のセンスを開かずに持っての踊りです。手の動かし方や所作がしとやかさを感じさせてくれます。源太郎踊りの見どころでもありますよ。源太郎踊りは、七つの小さな組踊りになっています。緩急に富んだ踊りが楽しめます。 |
一 長者殿(出端)
長者殿の親方様のお前にづる 槍なぎなたの
お供の衆は又五百人 草葉もなびけどお立ちやる
草葉もなびけどお立ちやる
二 山口くだり
あれこそ これの山口くだりの源太郎よ 山口くだりの源太郎よ
源太郎殿こそ若衆の中でも若衆ぶる 若衆の中でも若衆ぶる
上のお寺に笛が鳴る あいちょろちょろと笛が鳴る
出ては逢いたし ひまはなし お願ほどきをなぜおしゃる
三 音に聞く
音に聞く音に聞く 駿河の国の千代郎殿は
末の松女と恋を召す 千代郎殿は十五なり
すりの松女は十四なり 十四と十五の仲なれば 言葉に花をば咲させたや咲させたや
千代郎殿のおしゃるには 二つ刀と親両人はすつるとも
よもやすてじの松女さま
松女さま 松女殿のおじゃるには 唐の鏡と親両人はすつるとも
よもやすてじの千代郎殿や 千代郎殿
四 心づくし
心づくしの秋の花よ 見る人ごとに
よう見る人ごとに折りたがる 折りたがる
佐賀のとますに いちごがのりて 君末代よ
わしゃいちご わしゃ一度
めでし偲びの言葉のかけそい まだ来いなれよ
まだ来いなれよ 野辺の草 野辺の草
五 近江の国
近江の国の道学殿は御陣立ち
あれを見や これを見よ 坂東名馬に黒鞍しかせて
小桜おどしの鎧着て かぶとは山の磯の富士 磯の富士
越前様の御所にこそ 八重菊様の若衆ある
同じ御家所に千菊様とて美人ある
愛岩参りに目と目の見参めさるける
恋の玉づきおくられた
五年このかた 偲び申せよ 溝掘り川掘り 七筋掘りて
七重の御門に七人ごもりの御番所が 忍びもならぬ
御所でそおうそ 御所でそおうそ
六 土佐から
今朝は寝忘れた ほんに寝忘れた
枕扇風に陽が射いた 枕扇風に陽が射いた
十七、八の秋の野を行けば 小萩もさかる
我もさかる 我もさかる
七 うぐいす(引端)
これのお庭に よし植えて 我よし 人よし
世間なおよし 世間なおよし
やらやら見事 やら目出度う
※ 2014年11月3日、南種子町観光物産館前広場で披露された源太郎踊りを撮影したものです。この動画に中には、本踊りの様子、記念撮影などを収録しています。なお、19年ぶりの復活踊でもあります。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島の郷土芸能:源太郎踊り 南種子町平山西之町ふるさと祭での踊り】