中種子町南界校区田島の浄光寺にある「日良法印」の墓地です。中種子町の文化財に指定されています。浄光寺の正門をくぐるとすぐ左にあります。
日良法印は、室町時代の第11代種子島時氏公治政下の文化革命功労者で、法印は法華宗門祖日隆聖人に就いて本門八品の宗教を学び、先に法華弘通のため殉教せる日典上人の遺志を継ぎ、寛正6年(1465)35才で来島して、法華宗の普及を目指していきます。しかし、文明4年(1472)律宗従の坂井左京之進は法印を遠矢をにて射殺せんとしたが、法印は「矢違いの妙術」をみせ左京之進はその不思議の法術に感伏し、一族即党挙げて法印に帰伏していきます。その後此の地に浄光寺を創し学室を設けて、子弟の教育にあたっていきますが、明應4年(1495)9月19日65歳にして遷化御遺体を法印逆修石塔下に埋葬されています。