鉄砲伝来にまつわる悲劇のヒロインとして語り伝えられている若狭は、刀鍛冶八板金兵衛清定の娘でした。
金兵衛はポルトガル人から譲り受けた鉄砲の国産化に情熱を燃やしていましたが、銃身の手元に使っていたネジの切り方が分からず難儀をしていました。
そんな父の姿を見るたびに若狭は、胸が痛み何とかしてやりたいとの思いが、日に日に強くなるのでした。そして若狭は、とうとうポルトガル人の妻となることを決心していきます。こうして念願の国産銃が誕生していったのです。
「月の日も大和(やまと)の方ぞなつかしきわが二親(ふたおや)のあると思えば」
これは、若さが詠んだ望郷の歌です。
「あはれここ若狭の 墓か白砂のもろく 崩るゝ海のべの丘」
これは、海音寺潮五郎氏の詠んだ歌です。
※ 動画の中には、若狭姫の墓地案内のパネル、歌碑、お墓などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。