移住記念に関する碑
西之表市国上桜園地域です。久留真嶽神社に記念碑が建てられています。左が移住百周年記念碑、右が謝恩碑です。記念碑には、次の碑文が刻まれています。
沖永良部島縁故者
移住百周年記念碑
明治二十八年(一八九五年)大島郡和泊村国頭轟木カネ女史が縁あって国上上之古田に移住し以来縁故者等が次々に来島した大正三年の桜島大爆発によって移住した桜島出身者に配分された土地の中に適地が出たのを契機に上之古田地区から大正十一年頃移り住んだのが桜園定住の始まりである以来来島出身者が仲良く手を取り合い互いに研鑽努力を重ねて今日の発展を見るに至った
種子島移住百周年を記念し御世話になった地元国上校区民への感謝と先人諸霊諸氏に対し敬意を表し今後の精進を誓ってこの碑を建てる
平成八年(一九九六年)十一月吉日
桜園現住者及び縁故者一同(現住者は三十四人、名前は省略)
次に、右の謝恩碑の碑文は次のように刻まれています。
謝恩碑
我ガ故郷沖永良部島ニハ地挟隘山岳少ナク毎年襲来ノ暴風ニ潮沫ノ飛散全島ヲ浴セ諸策枯死シ餓饉ヲ常トス明治二十七年以来續ク凶作ニ食ヲ蘇鐵ニ求ム悪疫蔓延悲惨困窮絶頂ニ達ス頃ハ明治二十八年轟木カネ女史ハ西之表生レ宇辰岩女ヨリ種子島ハ安楽ノ地ト聞キ獨リ意ヲ決シ種子島ニ渡リ生活ノ道ヲ拓ケリ土地肥沃諸作豊富ニシテ斯ル天恵ノ地ニ辿着セシヲ喜ビ親戚知人ヲ拓キ今日一部落ト成レリ
昭和三年五月大島郡選出縣会議員縣参事会員沖元綱翁ハ職務ノ為メ當地ニ御出張序郷里同胞ノ居住ヲ聞キ態々御来訪視察セラレ吾等ノ土地所有皆無ニシテ浮草同様ノ生活ニ悲嘆シ當時桜島爆発罹災民移住地餘地シ耕作生活セル悲惨ナル吾等救助ニ志シ熱涙シ以テ縣会ニ陳述當局ニ善?ヲ促シ寝食ヲ忘レ?地分譲ニ努力セラレタリ當局翁ノ意ヲ諒トシ拾数回詳細ナル調査ヲ了シ仝十年六月土地所有権譲渡ノ有難キ恩恵ニ浴セリ如斯吾等ハ種子島ニ渡リ子孫繁栄生活安定セシハ之御両氏ノ賜ニシテ永久謝恩セン為メ茲ニ碑ヲ建設ス
昭和十四年卯一月十五日
碑文は以上です。文章の中で、?は判読できない文字、或は変換不可能な文字です。一部の文字は現代文字に変換しています。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。
※ 西之表市国上桜園久留真嶽神社境内に建立されている「移住百周年記念碑」、「謝恩碑」を紹介しています。この動画の中には、市道国上西之表線久留真嶽神社入口付近、市道柳原野木平戦久留真嶽神社入口付近、久留真嶽神社境内、移住百周年記念碑・謝恩碑の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。