移住記念に関する碑
西之表市国上白石地域です。白石公民館に移住百周年を記念して記念碑が建てられています。その記念碑に刻まれている碑文は次のとおりです。
移住百周年記念碑
「吾がルーツを求める」ことは多くの人々の願いであろう明治三十二年(一八九九年)頃大島郡和泊村国頭の轟木喜之助・兼及び山西冨沢・鶴等の家族が地種子島村国上上の古田に住みつき縁故者の移住が続いた大正十五年(一九二六年)七月国有地の払下げを得て現住地白石に逐次移動三十四戸で集落を造り専ら農を生業としたこの間人々の協力奮励によって生活は年々安定したが昭和二十年(一九四五年)の敗戦によって世情一変青壮者の出郷が相つぎ鐘概ね百周年の今日減世帯二十二戸となる私達は世の変動に惑わされることなく子女の教育につとめ互いに助け合って社会に尽し祖霊の志に応え後世子孫が平和な国家社会に誇りと自信をもって生きられることを願い島外縁故者の協力を得てここに百周年記念の碑を建てました
平成八年(一九九六年)十一月吉日
白石集落現住者一同
当初移住者の氏名と当時の年齢
轟木喜之助六十三才 深見西行 三十六才
〃 榮 四十五才 森 本実 四十四才
山西富沢 四十八才 深見西澤 六十一才
〃 鶴 四十六才
白石開設時世帯主氏名と当時の年齢
新里中実 五十一才 轟木藤之助四十三才
深見富茂 三十三才 大栄奥秀 四十四才
〃 西秋 二十五才 田畑西徳 四十六才
〃 西秀 二十八才 深見吉治 四十五才
市来?厚 三十八才 白石白信 四十六才
森 元澄 四十六才 〃 力子 三十五才
深見富西 四十五才 佐々木千代四十八才
田畑興名治四十八才 尚 カメ 三十三才
大勝喜志富三十六才 深見富千代二十一才
竿田富実 五十一才
田畑俊秀 二十四才
田中竿明 四十三才 川畑村℃u五十五才
轟木喜平次三十七才 池田順済 四十七才
碑文は以上です。なお、当初の移住者は七人で、白石開設世帯主は二十二戸です。文章の中で、?は判読できない文字、或は変換不可能な文字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。
※ 西之表市国上白石公民館に建立されている「移住百周年記念碑」を紹介しています。この動画の中には、県道581号線白石公民館入口付近、市道白石公民館入口付近、公民館広場、移住百周年記念碑の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。