塩釜跡地に関する碑
西之表市伊関沖ヶ浜田の県道75号線沿いにある塩釜跡地石塔です。石塔は、二本残されています。道路沿いに碑文が刻まれた碑があります。碑には次の碑文が刻まれています。
塩釜跡地石塔
一三五二年(鎌倉時代)第六代島主時充公が、塩の足らざるを憂い鎌倉より製塩技術者を当地に招き技術の向上と量産に努めたのである。
その時、自然の加護を受け成功を願い祀られた天照皇大神は時代の変遷に伴い今は氏神様として、この西方の杜に鎮座し住民の心の寄りどころとなっている。
沖ヶ浜田は、種子島で西之(南種子)と共に、製塩発祥の地と云われている。この尊い歴史と長年に亘り先人達の築いた文化を後世に継ぐために、この塩屋前の塩釜跡地に立てられた二本の石塔を末永く保存するものなり。
二〇〇六年(平成十八年六月吉日)
碑文は以上です。
※ 2020年(令和2年)1月31日(金)に撮影した西之表市伊関沖ヶ浜田県道591号線沿いに建立されている塩釜跡地に関する記念碑「塩釜跡地石塔」を紹介しています。この動画の中には、沖ヶ浜田591号線海岸近くの塩釜跡地前通り、記念碑周辺、塩釜跡地石塔の碑文及びその周辺の風景などを収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。