西之表市伊関柳原地域に伝承されている「新地節」です。柳原地域は、甑島よりの移住者によって開拓されてきました。明治16年から三か年にわたり相次ぐ台風の襲来を受け、明治19年4月15日に19戸が柳原に移住してきました。幾多の困難を克服して荒蕪地の開拓に挑み、生活基盤確立に粉骨砕身の努力を重ねた結果、遂に今日の柳原が形成されるに至っています。そして、昭和61年4月に移住百周年を迎えてきました。
ところで、新地節は、明治末に伊関の前野家に身を寄せた長崎の源吾という人が、柳原に伝えたといわれる踊りです。銭太鼓をもって踊るわけですが、その繰り返しが多く踊る動作が激しいのが特徴です。後半はややテンポが速くなり、踊りも最高潮に達します。
踊り子の服装は、色鮮やかな衣装姿です。各自、房の付いた銭太鼓をもっています。一方、歌い手は、男女五人で唄と囃子がいます。今回、西之表市立伊関小学校の落成式で披露された新地節は、出郷者の協力を得ています。
写真一枚目は、その踊りの模様です。銭太鼓を肩、ひじ、ひざでたたき移動しながら、前後反転に繰り返します。後半になると、ややテンポが速くなります。
舞台下にいる歌い手です。男性がその右にいます。女性は「アラサイコラサイ」などと囃子をかけます。 | |
踊り子は、反時計方向に移動しながら踊っていきます。反復踊りですので、リズムに乗って、銭太鼓をたたきます。 |
一 新地ー手から小山田みれば アラヨナー なぐれ アラサイコラサイ お春がガタになう
ごんげん山から後とびゃするとも わたしゃおまえさんに 文など とってかやってか覚えがござらん ござらん
二 新地お役人はこの城のぶえん アラヨナー やかにゃ アラサイコラサイ くわれぬ夏の魚
石垣どんこが顔出した今朝も出したが又出した
三 そろうたそろうたよ踊り子がそろうた アラヨナー 稲の アラサイコラサイ 出穂よりなおそろうた
ぶんぶく茶釜の蓋とる間がない 可愛い姉ちゃんの袖ひく間がない 間がない
四 お菊どんな奴 だいばさんに惚れた アラヨナー 主にゃ アラサイコラサイ 子もある妻もある
谷山丸木は 一丁ろじゃおされぬ 二丁も三丁も押せ押せ 押せば港も近くなる
五 お伊勢参りに この子ができた アラヨナー 名をば アラサイコラサイ なんとつけようか 伊勢まつ と
段々畑のサヤ豆は 一サヤ走れば 皆走る 私ゃ だんなさんについて走る
六 可愛い勝五郎 車に乗せて アラヨナー 引けよ アラサイコラサイ 初花 箱根まで
出そうで出んのが 石原竹の子 いま出んと出んとじゃ 掘って出せ 掘って出せ
※ 2013年3月30日(土)、西之表市立伊関小学校落成記念祝賀会で披露された新地節を撮影したものです。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【種子島の郷土芸能:伊関柳原に伝承する銭太鼓踊りの「新地節」】