国史跡指定記念として、平成20年9月21日(日)南種子町福祉センターにおいて「広田遺跡の謎に迫る」と題して広田遺跡シンポジュームが午後2時より開催されました。オープニングでは、南種子町立平山小学校児童と広田地域の人々も参加して、広田地区に伝承する郷土芸能「ちくてん」で始まりました。そのあと、南種子町長のあいさつが続き、第一部では南種子中学校生徒による「広田遺跡の紹介」、南種子町教育委員会による「広田遺跡の活用、整備」などのほか、「貝の道からみた広田遺跡」と題して熊本大学教授の木下先生による講演、第二部では、南種子高等学校生徒による「広田人のファッションショー」、続いて「広田遺跡」のテーマによる図画作品の表彰式、第三部では県文化財課の堂込氏の司会によりパネルディスカッションが行なわれまました。その後閉会のあいさつで無事広田遺跡シンポジュームが終了しました。
ところで、広田遺跡は、2008年3月28日に種子島で唯一、国の史跡に指定されています。新聞やテレビでも掲載・放映されました。すでに詳しく知っている方もおられると思いますが、ここで、広田遺跡について簡単に説明しましょう。「広田遺跡は、今からおよそ1700年前の埋葬遺跡です。時は、1955年の台風22号の際に、南種子町平山広田地区に住む斉藤貞夫、長田茂、坂口喜成氏により、広田海岸で発見され、1957〜1959年まで盛園尚孝、国分直一氏によって学術調査が行なわれ、4万点以上の貝製の装飾具、157体をこす人骨が見つかり、全国から注目を浴びるようになったのです。「山」の字の貝符は、1958年(昭和33年)の第二次調査で見つかり、日本最古の文字の発見として新聞でも大きく取り上げられています。
広田遺跡シンポジュームの様子を掲載しています。なお、「広田遺跡」に関することは、南種子町役場社会教育課(0997-26-1111)へお問い合わせてください。
広田遺跡シンポジュームは、南種子町福祉センターで行なわれました。ロビーには、遺跡に関するものがたくさん掲示されており、受付にて資料など配布していました。
オープニングとして、平山小児童、広田地区民による郷土芸能「ちくてん」を披露してくれました。この勇壮な踊りに各先生方も感動されていました。
写真は、南種子中学校生徒による「広田遺跡の紹介」と題して、スライドも駆使して、分かりやすく大変立派な発表をしてくれました。写真左は、昔の広田人です。
写真は、「貝の道からみた広田遺跡」と題して、熊本大学教授木下尚子先生が講演しているところです。大変興味深く、分かりやすく、たくさんのスライドも用いて、広田遺跡のことをお話してくれました。
写真は、南種子高等学校の生徒たちが貝を使って、装飾具を製作していたものです。ロビーに展示されていました。製作したものは、ファッションショーでも使っていました。
ロビーに展示されていたもので、木下先生が講演で使った貝の道の模式図です。先生の結論は、貝交易においては、種子島は単なる寄港地であったこと。本土の影響をほとんど受けていないこと。したがって、広田の文化は独自性が強かったなどと話していました。
写真は、人骨の写真パネルです。左上は、南区2号人骨、右は北区1号人骨、下段左は下層埋葬(A地区11号人骨)、右はD川地区2号人骨です。
広田遺跡で発見された貝の装飾具を参考にして、南種子高等学校の生徒たちが作ったアクセサリーを身につけて、広田人のファッションショーを披露してくれました。
文化財保護強調週間の一環として、「広田遺跡」をテーマに、図画作品の表彰式が行われ、島間小5年野首さんが見事最優秀賞に選ばれました。
写真は、熱心にパネルディスカッションを聞き入っているところです。会場には、大勢の町民が古代のロマンに興味深く見つめていました。
ロビーに展示されていた図画の最優秀作品です。「私たちの広田遺跡」と題して、野首さんが描いたものです。
写真は、パネルディスカッションの様子です。左から、司会の堂込氏、木下、禰宜田、宇多、高瀬、竹中、中村、石堂、徳田氏です。そのなかで、国指定になった理由は、「大規模な墓地遺跡であること。本土と貝の道などから社会の様子が分かること。広田遺跡の特異性があり、お墓にしても固有の文化を持っていることなど」と話してくれました。