戦後、種子島には二ヶ所の水力発電所がありました。西之表市安城大川田川の水力発電所、西之表市古田川脇川の水力発電所です。大川田川の水力発電所は西之表農業協同組合が運営、古田の水力発電所は、九州電力が運営していました。何れの発電所も小規模発電所で、その出力は40〜60キロワットでした。しかし、これらの水力施設により、各家庭に送電が始まり、近代化生活の一歩が始まっていったのです。
その後、大川田水力発電所では、昭和35年に火災事故が発生し、電気の供給がストップします。一方、古田の水力発電所は、昭和46年に閉鎖されます。閉鎖の主な原因は分かりませんが、配電線路の供給電圧が、3300ボルトから6600ボルトに全国的に格上げされていきます。その影響もあったのでしょう。供給電圧が、2倍に変更されたことは、送電電力は4倍になり需要増加に対応できたと思われます。
古田の水力発電所は、小学生のころ遠足等で行っていました。赤い屋根の発電所建屋は今でも覚えています。また、周辺の川ではダクマ捕りが盛んに行われていた場所でもあります。古田の水力発電所のデータの詳しいものが残っていません。分かっているデータだけで、その概要を考察してみました。
古田の水力発電所は、豊受神社からおよそ4キロ下った地点にあります。発電所跡地までは、小さな道が川沿いにありますが少々悪路です。神社前に古田水力発電所跡地の案内板が設置してあります。その案内板に、「大正二年三月種子島電気株式会社が設立された。翌年七月、古田大川比良に取水口を設け、川脇川から毎秒十八・三トンの水を引用し宇田代嵐に古田水力発電所(出力六十kW)が設置された。昭和二十六年五月に九州電力鰍ノ統合され昭和四十六年に閉鎖された。」とあります。
このなかで、毎秒18.3トンは間違いで毎分18.3トンでしょう。そうでないととんでもない出力になってしまいます。ここで分かっているデータは、出力が60kW、流量が毎分18.3トン。
したがって、P=60[kW]、Q=18.3/60=0.305[m3/s] ------ (1)
また、別の方法で流量Qを求めてみると、
土管の内径が0.8メートル、一秒間の平均移動距離を0.6メートルと考えると流量Qは、
Q=πr2×L=3.14×0.4×0.4×0.6=0.301[m3/s] ------ (2)
となり、(1)と(2)はほぼ等しくなることが分かります。
これをP=9.8QHηの式に代入します。
60=9.8×0.305×H×η
ここで、η=0.7とすると、上式は、
60=9.8×0.305×H×0.7
60=2.09×H
ゆえに、有効落差Hは、次のとおり求められます。
H=60/2.09=約30メートル
平成21年2月11日に現場撮影した写真を掲載しています。現在、電力会社にも資料が残っていません。これだけの設備を建設するのは相当な困難とそれに携わってきた人々の成果があったからでしょう。先人たちの偉業に感謝といつまでも讃えたい気持で一杯です。
水力発電所跡地の標柱 | 発電用ダムの上流 | 発電用ダム付近の道路 |
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古田中央公民館前の県道76号線の交差点を東に入り込んだところに豊受神社があります。標柱は神社右にあり、水力発電所の案内板が設置されています。 | 平成13年の西之表豪雨によって、川も大きく変化しました。写真は、堰堤の上流付近の風景です。昔は、この先以降は、かなりの深みになっていましたが、近年は、土砂が堆積して浅くなっています。 | 発電所跡地への道です。これより先を川に下りると、発電用のダムがあります。 |
発電用ダム | 発電用ダム | 取水口 |
川沿いの道を下ると、やがて道路から堰堤が見えてきます。手前が道路側で、前方が取水口です。堰堤の幅は20メートル前後です。 | 発電用ダムを川下から写したものです。道路は左側に、取水口は右にあります。 | 取水口です。「取水口延長9.16 追加距離 0」でしょうか?昔の字で読めないです。 |
5号マンホール | 導水路(圧力水路) | 2004年の頃の導水路(圧力水路) |
取水口から下ること約80メートル付近にある5号マンホールです。この手前に、4号マンホールもあります。 | 発電用ダムから約100メートル下った地点です。導水路は土管の水路です。内径80センチ、肉厚75ミリです。第4と第5のマンホールがあります。先は急カーブになっており、土管が損傷しています。 | この写真は、今から8年前に写していたものです。平成13年の西之表豪雨以降の導水路です。まだ、水路としては形が若干残っていました。 |
1号開渠の導水路 | 沈砂池 | 沈砂池 |
開渠型の導水路です。建設費を安くするためには、どうしても開渠にするしかありません。しかし、水路に不純物が混入しやすい欠点があります。水路の保守も大変だったと思います。なお、サージタンクまでの距離は、約1500メートルと推定されます。 | 導水路の途中にある沈砂池です。水の中の不純物である砂を沈める池です。水車に与える摩耗を極力少なくする必要があります。定期的に沈んだ砂を排出していました。 | 沈砂池です。堆積した砂は定期的に川へ排出していたのです。林の中に導水路があるので、不純物の除去には、大変な労力が必要だったに違いありません。 |
沈砂池の表示 | 2号開渠の表示 | 1号隧道 |
沈砂池の表示です。今もなお、はっきりと読み取れます。なお、沈砂池は2.9メートルと表示されています。 | 沈砂池を通過すると再び開渠の導水路です。この前方に隧道があるので、2号開渠は10.6メートルです。 | ここから導水路はトンネルになっています。今回、初めてトンネル部分を観察しました。 |
1号隧道の表示 | 大石の手前 | 水路 |
サージタンクまでにトンネルはいくつあったか、定かではありません。ここは1号隧道です。その長さは196.1メートルです。今のような重機もなかった時代に関心に長いトンネルを掘ったものですね。見ているだけでも苦労が伝わってきます。 | 川の岸に大石があります。その少し手前の川岸です。この山手に導水路及び隊道があります。 | 林の中に入っていくと、ご覧のとおり水路が見えてきます。 |
下流側水路 | 上流側水路 | 上流側水路 |
この付近は、中間付近を過ぎた場所でしょうか。開渠の導水路があります。 | この付近は、カーブになっており、先は上流側です。 | 付近は、急傾斜になっており、先は円形の圧力水路になっています。 |
上流側の導水路 | 上流側の導水路 | 崩落現場近く |
カーブ付近は、開渠の導水路です。しかし、この少し先で円形の導水路になっています。 | ここから円形の導水路です。この先は、平成13年の西之表豪雨によって、斜面が崩落して、導水路も崩壊しています。 | 崩落現場付近から川を撮影したものです。この位置の高さは、約25メートル前後です。 |
下流側の導水路 | 放水路 | この先からトンネル |
ここは、下流側の導水路です。前方は、トンネルになっており、その手前に土砂を排出する放水路があります。 | ここは、水路に溜まった土砂を排出する水路です。右方向が川です。 | この付近からトンネルになっています。導水路としては、なるべく最短距離で、サージタンクに接続するのが損失が少なくなります。古田の水力もトンネルがほとんどです。 |
崩落現場 | 発電所建屋前の川 | 発電所跡地入口付近 |
写真は、平成13年の西之表豪雨によって、崩落した現場です。この中腹に円形の導水路があったのですが、すべて崩壊しています。 | 発電所建屋の前にある橋梁跡です。西之表豪雨により壊滅的な打撃を受けています。橋もあったのですが、崩壊しています。その残骸が左にあります。 | 発電所跡地入口付近の現在の様子です。西之表豪雨によって、橋が損壊してしまいました。 |
倒壊した発電所建屋 | 2009年の頃の発電所建屋 | 2005年の頃の発電所建屋後方 |
現在の発電所建屋です。写真のごとく、倒壊してしまいました。貴重な文化財が、壊れてしまい、とても残念な気持ちです。小さい頃の遠足の地であった発電所。思い出も壊れてしまいそうです。 | 川沿いにある発電所建屋です。赤い瓦の屋根で作られています。西之表豪雨にも耐えて今なお、当時の姿を物語っています。後方は、ツタが張り廻り壁板が分からないほどです。しかし、四年前に比べると、確実に風化し続けています。 | これは、今から7年前の発電所建屋の裏側を写していたものです。赤い屋根がはっきり分かるでしょう。建屋もかっこよくて、二段屋根になっていたんですよ。ツタが張り付いていました。 |
2004年の頃の発電所建屋 | 発電所建屋入口 | 2009年の頃の発電所建屋内部 |
これは、2004年に写した発電所建屋です。正面の軒下もしっかりしていました。赤い瓦も見えていました。 | これは、2005年4月に写した発電所入口です。ガラス窓もしっかりしていました。 | これは、今から3年前の発電所建屋内部です。内部には機器などありません。正面に「整理整頓」の張り紙が目に留まります。次第に風化が激しくなってきています。 |
水神の神様 | 導水路と建屋跡地 | サージタンクへの階段 |
発電所建屋の山側に、今もなお、井戸と水神の神様を祀っています。 | 写真左下は、水車を回すためのコンクリート製の導水路です。穴は、埋め殺しにしています。その右は、発電所宿直室があったのでしょうか。そんな気がします。細かいことまで、記憶が定かではありません。あと、考えられることは、変電設備があったところかもしれないし。 | サージタンクへの階段です。今もなお、はっきりと残っています。結構急斜面になっています。 |
導水路支柱 | サージタンク付近 | 腕金碍子類 |
水車を回すための導水路を支える支柱です。導水路は鉄管で作られていたのでしょう。 | 発電所建屋の上にあるサージタンクです。古田水力発電所の有効落差は約30メートルです。サージタンクを横から写しています。その前方に沈砂地があり、不純物を放出する水路があります。 | サージタンク付近に残っていた腕金です。電柱に装飾されていたものでしょう。碍子を調べてみると、1963-2の記号がはっきり残っており、1963年2月に製造された碍子です。今もなお、きれいな状態です。 |
錆びれたバルブ | 上流への開渠の導水路 | 放流水路 |
沈砂地付近にある錆びれたバルブの一部です。不純物を放出するための水門用のバルブだったのでしょう。 | 手前は、沈砂地で水路は、上流の取水口につながっています。このまま先へ行くと、水路はがけ崩れで、ふさがれてしまっています。 | 沈砂地に溜まった不純物を川へ戻すための放水路です。急勾配です。 |
電柱の支線 | サージタンク付近 | 水槽標識 |
サージタンク付近の電柱を支えていた支線です。その玉がいしには、1957年の製造年が刻印されていました。沈砂地付近にある腐った電柱金具類です。サージタンク付近に電気は必要ないと思われますが。しかし、よく考えると、次のことが推測されます。発電所建屋隣の変電設備を通過した後、配電線路の最短距離を考えた場合、一旦サージタンク付近を通り、導水路横を経て川を横断して道路に出ていたのでしょう。そのような記憶がぼんやりと浮かんできます。 | 導水路付近からサージタンク周辺を写したものです。写真右が川側となります。 | サージタンク付近に残っていた水槽の標識です。その標識には、「水槽 延長9,240 追加距離1661.95」と記されています。取水口から約1662メートルの意味でしょうか? |
古田の水力発電所は、昭和46年に閉鎖されます。その後、水力発電機と水車のユニットは、現在、福岡市にある九州電力株式会社の九州エネルギー館に展示されています。
なお、写真と情報は、種子島を離れ福岡市に住んでおられる中島さんから提供していただいたものです。特に、銘板の撮影には、大変苦労を伴ったと話されています。
写真から分かることは、水車の種類は、小型の横軸フランシス水車です。反動形の水車で中落差に用いられており、有効落差をフルに利用できる利点があります。落差の小さい小型の水力に多数使用されています。発電機と水車の間には、はずみ車が取り付けられているのも特徴です。
水力発電機(出力 60kW)
この水力発電機は、種子島第2発電所で昭和2年から46年まで、44年間にわたり使用された。
また、この発電機は種子島電灯株式会社から九州配電、九州電力と、3つの会社にわたり活躍した。
発電機と水車の銘板の写真
発電機の銘板
交流発電機
TYPE SE FORM R
K.V.A. 7 5 KW 60 R.P.M. 1200
VOLTS 3500 AMPS 12.4 PHASE 3
CYCLES 60 P.F 0.8 EX.VOLTAGE 110
MAX.EXT CURRENT 13.6 NO 246352
CATALOGUE NO DATE 1926
東京 日立製作所
水車の銘板
水車
型 furuta_suiryokuS 式 H
最大出力 100 馬力
有効落差 152 呎
最大水量 7.5 毎秒立方呎
軸回轉數 1200 毎分
製品番號 503315 大正15年
東京
日立製作所
【用語の説明】VOLTS〜電圧、AMPS〜電流、PHASE〜相、CYCLES〜サイクル、P.F〜力率、EX.VOLTAGE〜励磁電圧、MAX.EXT CURRENT〜最大励磁電流
水車の銘板より分かることは、水車の種類は、フランシス水車です。
※ 平成31年1月29日(火)、西之表市古田水力発電所跡の河口付近、現在の発電所建屋状況、2004年・2055年・2009年・2012年の発電所建屋状況の写真、現在の建屋周辺の状況、水神、井戸、水圧鉄管の導水路及びその架台状況、サージタンク周辺、タンク周辺の碍子、腕金などの装柱品、排水路などを収録しています。
【古田水力発電所跡発電所建屋・導水路・サージタンク・建屋の写真付き】
※ 平成31年1月29日(火)、西之表市古田水力発電所跡サージタンクから発電所跡ダム取水口までの導水路を探検歩いたものを紹介しています。これまで紹介できていなかった導水路の史跡を収録しています。また、自然音を収録しています。
【古田水力発電所跡サージタンクからダム取水口までの導水路を探検!】
古田水力発電所跡地への屋久川林道道沿い風景を撮影したものです。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
※ 2012年5月30日(水)、種子島の西之表市古田川脇川にある水力発電所跡を撮影したものです。この動画の中には、発電用取水ダム周辺、発電所跡地周辺、サージタンク周辺などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。