戦後、種子島は、電気がない生活を強いられていました。昭和25年ごろから種子島の各地に小規模水力発電設備を設置しようとの機運が高まっていました。こちら、油久校区でも昭和28年には、女洲部落に出力3キロワットの小規模水力発電設備が完成し、順調な運転を実現し明るい生活を送っていました。しかし、東之町、西之町、向町部落でも、多年の願望であった小水力発電事業を部落民総意のもとに起こし、昭和29年7月に出力10キロワットの小水力発電所の着工をしています。この事業の予算額は、300万円でした。そして、水路工事、ダム工事、外線工事、発電設備工事も順調に進み、9月中旬ごろ完成し竣工しています。
油久の発電所は、女洲川流域に設置され、中流にある「申しヶ淵」から取水し、約100メートル下流地点にあるサージタンクまで水路を建設し、そこから有効落差10メートル前後を確保し、水車を回し10キロワットの発電に成功しています。ところで、女洲部落での水力発電事業は、昭和28年11月14日に完成し竣工しています。出力は、3キロワットで、一戸に2灯、部落で50灯の電灯が取り付けられ、明るい文化生活ができていました。
平成26年8月23日(土)、向町にお住いの地元郷土研究家元南種子高校学校長国上明さんに現地を案内していただき、取材させていただきました。また、油久の水力発電設備に係る資料の提供も受けています。感じたことは、この種子島の平坦地で、水のエネルギーを最大限まで利用し、文化向上に努めてきた当時の人々の熱い情熱です。現在のように、重機のない社会で、人手による労力で、不便な地点での作業に惜しむことなく事業を完成させたことに、古人の偉業に感謝といつまでも讃えたい気持で一杯で胸が熱くなることでした。
発電用ダムに利用された申しヶ淵 | 申しヶ淵の上流側 | 申しヶ淵の下流側 |
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ここは、女洲2号線に架かっている奈佐田橋の少し下流にある申しヶ淵です。種子島では、立派な滝ですよ。左右に分流しており、男淵女淵の滝よりずっと、この滝の方が見栄えが素晴らしいです。なお、女洲川の源流は製糖工場の池となっています。なお、この滝には民話が伝わっており、ページの下で紹介しています。ご覧ください。 | 申しヶ淵の上流側です。堰堤を造り、川を堰き止めて、写真左側に取水口があったと思われます。 女洲川中流にある申しヶ淵は、広ヶ野にある製糖工場の池が源流です。豊富な湧水が特徴です。また、油久住宅下の屋久渡瀬には、かつて澱粉工場もあり、境界付近では、昔、お殿様の籠担ぎ交代場所でもあったとされています。 |
申しヶ淵の下流側を写したものです。開渠の導水路は写真右にあったと思われます。川岸には、現在、竹や雑木林になっており、不純物などが大量に流入しています。その当時は、取水路に不純物が入らないように管理するために川岸はきれいに整備されていたのでしょう。 |
取水口 | ダムのあと | 水田への農道 |
滝上部の左側にある取水口付近です。今でもコンクリート製のものが残っています。しかし、経年劣化と水害などで昔の取水口は残っていません。ここから、下流のサージタンクまで、開渠の水路を設置していたのです。 | 申しヶ淵のダムのあとです。現在でもその一部が残っています。かさ上げして、川を堰き止め水量を確保していたのでしょう。 | 女洲1号線から竹屋野大久保線との合流地点の少し手前の水田への農道を通ります。途中まで車で通行できますが、少々悪路です。歩いて行くのがベターです。 |
川岸の水田 | 川を渡る | 発電後の放水路 |
町道からの農道を歩いてくると、女洲川の川岸に水田があります。ここをまっすぐに通り、向こう岸へ渡ります。 | 川岸の水田を通り、川を今の水田用の水路を歩いて、向こう岸へ渡ります。発電所跡地は、写真右方向です。 | 水車を廻したあと水を川に戻すための放水路です。この放水路も有効落差を効率よく利用できるのです。吸い出し効果が期待できます。写真手前は、川です。 |
発電所跡地 | 発電所の放水路 | 放水路の架台 |
川岸の発電所跡地です。放水鉄管が見えています。この先は、直接川に放流されていたのでしょう。鉄管はスカート状になっています。 | この配管の上に水車が設置され発電機を回していたろうと推定されます。水車としては、小型のフランシス水車が多く使われていたようです。周辺の川沿いには、当時の石積みも残っています。小規模ですので、電圧を変成しないで、直接、負荷の電灯に接続していたのでしょう。 | 水車を廻すための放水路を支えるためのコンクリートの架台です。現在でも残っています。 |
サージタンク | サージタンクへの流入路 | サージタンクの放水路鉄管跡 |
発電所の上にあるコンクリート製のタンクで、サージタンクと呼んでいます。ここから発電所まで鉄管の放水路により、水を落下させて水車を廻します。有効落差は10メートル前後です。 | 開渠型の導水路です。建設費を安くするためには、どうしても開渠するしかありません。しかし、水路に不純物が混入しやすい欠点があります。ここから取水口までは、開渠の導水路です。少し先で二つの導水路が合流しているのが大きな特徴です。 | 写真は、サージタンク川側にある放水路鉄管跡です。これより約10メートル下の位置に水車が設置されていたと推定されます。直径約40センチの鉄管です。 |
【申しヶ淵の民話】
昔、油久に本隆寺(油久神社敷地)がありました。僧は、恋をすることを禁じられていましたが、下村家の娘と恋仲になってしまい、二人ともおとがめを受けることになりました。男女、別々に箱詰めされ、ヘビやムカデなども入れられて、申しヶ淵の上の淵と下の淵に投げ込まれました。その悲しみは、滝の音となって娘の実家にある美座までも聞こえたと伝えられています。
【資料提供〜地元郷土研究家元南種子高校学校長国上明様】
※ 2014年8月23日(土)、種子島の中種子町油久にある小規模水力発電所跡地を撮影したものです。この動画の中には、発電用取水ダム周辺、発電所跡地周辺、サージタンク周辺などを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。