種子島開発総合センター(鉄砲館)は、開館30周年を迎えています。平成26年5月6日(火)、開館30周年記念特別展で、「よみがえる赤羽刀と甲冑展」の特別展示を撮影させていただきました。
江戸時代に製作された刀などが展示されていました。
赤羽刀とは、どのような物なのか説明します。終戦後、連合軍占領軍は日本の武装解除として、国内の刀剣類を接収します。その中で、廃棄や海外流出を免れた一部は、現東京の赤羽にあったアメリカ第8軍補給廠に集積されます。昭和22年、当時の刀剣関係者の尽力により、美術的価値のある刀剣については、5500本もの刀剣が選別され、上野の国立博物館に移転されました。これらの刀剣類は、保管場所となった赤羽に由来しています。その後、終戦後50年にあたる平成7年に「接収刀剣類の処理に関する法律」が成立し、赤羽刀の保管活用の展望が開かれました。
よみがえる赤羽刀と甲冑展を写真と動画で紹介しています。
なお、よみがえる赤羽刀と甲冑展の詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。
「短刀」です。【銘】〜丹波守吉道(たんばかみよしみち)、【時代】〜江戸時代前期(慶長から寛永のころ 1591-1645年前後)、金道一門で金道初代の弟である。茎(なかご)の銘の切り方が、丹の字が舟の帆のような形になるので、帆掛け丹波ともいう。本作、相州伝で鍛え、肌・地沸(じにえ)厚くつき砂流し烈しく、刃紋すだれ刃となる。
刀身の鋒(きっさき)の説明です。大鋒、中鋒、小鋒の三種類、形として、猪首鋒、かます鋒、大かます鋒、横手のない鋒に分類されます。
刀身の寸法です。槍〜約35センチ、薙刀〜40〜45センチ、短刀〜約30センチ、脇差〜約60センチ、刀〜約80センチ、太刀〜約85センチです。
「刀」です。【銘】〜(表) 菊紋 伊賀守藤原金道、(裏) 日本鍛冶惣匠、【時代】〜江戸時代前期(寛永から延宝のころ 1624〜1681年前後)、本作は金道二代であり三品勘兵衛(みしなかんべえ)と称す。作風〜鍛肌板目に柾まじり、地沸つき、刃紋〜互ノ目乱(ぐのめみだれ)、刃中砂流しかかる、切れ味は業物として有名。刀工 伊賀守藤原金道は、江戸時代前期の人物で、慶長から寛永のころ 1596-1645年前後で、初代は、美濃国兼道の子で、金道一門を三品系と称し、晩年、菊の御紋章を賜り、刀工受領のことは金道の手を通じて行っていました。
「刀」です。【銘】〜(表) 菊紋 伊賀守藤原金道、(裏) 日本鍛冶宗匠、【時代】〜江戸時代中期(延宝から享保のころ 1673〜1736年前後)、本作は金道三代と思われる。作風〜鍛肌板目に柾まじり、刃紋〜互ノ目乱(ぐのめみだれ)、本工は享保のころ、江戸浜御殿にて御剣を造った。
刀身の各部です。鋒(きっさき)、横手(よこて)、刃文(はもん)、刃(は)、地(じ)、鎬(しのぎ)、鎬地(しのぎじ)、小鎬(こしのぎ)、帽子(ぼうし)、区(まち)、棟(むね)、姿(すがた)、物打(ものうち)、腰(こし)、踏張(ふんばり)などです。
「刀」です。【銘】〜(表) 菊紋 近江守源久道、【時代】〜江戸時代前期(寛文のころ 1661年〜)、本工は金道一門であり、作風〜鍛肌小板目に柾まじり、刃紋〜互ノ目乱(ぐのめみだれ)、平地に飛焼入る。
「脇差し」です。【銘】〜(表) 菊紋 近江守源久道、【時代】〜江戸時代前期(寛文のころ 1661年〜)、本作は脇差しながら身巾広く、地沸つき、刃紋〜互ノ目乱(ぐのめみだれ)、互ノ目連なり、刃中 おとなしい出来である。
「脇差し」です。【銘】〜山城守源国清、【時代】〜江戸時代前期(寛永から寛文のころ 1624〜1661年前後)、本工は京、堀川国広門人。越前にて作刀する。未研磨の状態ですが、身巾広く、平地杢目細かくつみ、所々、飛焼入り、刃紋〜乱刃となり、刃淵締り、沸(にえ)細やかである。本作は越前国清初代と思われる。
「長脇差し」です。【銘】〜菊紋一 山城守源国清、【時代】〜江戸時代前期(寛文のころ 1661年〜)、未研磨の状態ですが、越前山城守源国清二代と思われる。本作、身巾やや狭く、杢目調の鍛に刃紋は乱刃、互ノ目調ながら、互ノ目の頭、所々尖り状となる。
三種類の甲冑です。どれもこれも見事な物でした。
具足と兜鉢です。兜鉢の紋章は何か分かりませんが、葉と三つの果実です。
同じく、具足と兜鉢です。これが一番気に入ったものです。それは、兜鉢の紋章です。栗ですよ。それも三種類の状態を表したものです。面白い兜もありますね。
兜鉢の紋章栗です。成熟の様子を表したものです。非常に細かい描写が見事です。
こちらもも同じく、具足と兜鉢です。納戸奉行、物奉行などを歴任した平山一右衛門に関するものと思われます。非常に優美な甲冑で、武家社会南限の地、種子島の歴史を示す貴重な資料です。
紋章がユニークで、鬼の形です。
「小楠公」の掛け軸です。小楠公と称された楠木正行は南北朝の武将で、楠木正成の長男として生まれ、父は、大楠公と呼ばれたのに対しこう呼ばれていました。
父の遺志を継ぎ、足利尊氏と戦った人物です。吉野の如意輪寺の門扉に彫られた辞世の句「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」を写し取ったものです。
※ 2014年5月6日(火)、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)において、特別展示の「よみがえる赤羽刀と甲冑展」を撮影したものです。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。
【よみがえる赤羽刀と甲冑展〜種子島開発総合センター(鉄砲館)開館30周年記念特別展】