2021(令和3)年7月11日(日)、西之表市民体育館駐車場で、西之表市国上喜志鹿崎沖で発見された旧日本軍機の一般公開がありました。
その旧日本軍機は、97式艦上攻撃機で太平洋戦争末期には、特攻機として多く使われてきたものです。
今回の引き揚げ作業では、中島製(B5N2)のちに「一二型」という形式は確認されたという。しかし、機体番号は確認されておらず搭乗者等の特定には至っていません。
その一般公開の模様を掲載しています。
これは、操縦席の椅子です。かなりコンパクトに作られており、軽量化を図ったと思われます。
これは、エンジンオイルを冷却するための器具です。これの銘板から機体番号などは判明しました。
これは、機体前部下の魚雷ホルダー金具の一部です。
これは、水平尾翼です。足、タイヤなどが装着されているのが確認できます。
これは、主翼の右側と操縦席などです。濃い緑の塗装も残っていました。また、ほとんどが、ワイヤ式による操作となっており、そのワイヤもそのまま残っていました。
97式艦上攻撃機は、昭和12年(1937)に日本海軍に採用された航空母艦搭載用の3人乗り攻撃機です。41年12月8日の真珠湾攻撃では主力を担った。太平洋戦争末期には旧式化し、45年4月から始った沖縄航空作戦では串良航空基地(鹿屋)から出撃した「特攻機」に多数使用された。
これは、工具のレンチです。
写真は、主翼です。操縦席付近です。手前の左翼があります。ワイヤなどがそのままの状態で確認できました。
今回の調査では、遺骨並びに機体特定につながる部位の確認はできなかったそうです。しかし、鉛筆や工具、そして、ないといわれていた尾翼部分が見つかったのは、機体が持てる結果であったそうです。
機体に近づいて熱心に引き上げられたものを確認していました。何か、平和のメッセージが聞こえてきそうな機体でした。
※ 2021(令和3)年7月11日(日)、西之表市民体育館駐車場で、西之表市国上喜志鹿崎沖で引き揚げられた旧日本軍機97式艦上攻撃機の一般公開された模様をダイジェストで紹介しています。この動画の中には、主翼の一部、尾翼の水平尾翼の一部、操縦桿、操縦席の椅子、エンジンのオイルクーラー、魚雷の留金具、風防、97式艦上攻撃機に関する掲示物、一般による見学の様子、見学者の感想、公開された機体への思いなどを収録しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。