紀徳碑

米国商船カシミヤ号乗組員救助に関する碑

紀徳碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市伊関小学校入口付近
【撮影日時】
2006年10月1日/13時36分

西之表市街地から車でおよそ20分でこの地に着きます。米国商船カシミヤ号の乗組員を救助したのを記念して紀徳碑が建てられています。その記念碑を紹介します。明治時代に建てられていますので、碑の経年風化もあり読めない文字や変換不可能の文字がたくさんあります。文章の中で?や?・・・?で示しています。碑文は次のとおりです。

 碑文
 紀徳碑
明治十八年九月米利堅国商船遇?破壊干我種子島近海乗客多?以脚船免者?十有二人三人抵伊関村七人?安城村抵安城者依村人岩坪平庄ヱ門者抵伊関者夜上岸彷????村人古田貞吉出漁間之?・・・?十二人団頓殆死既而両村人民?之衣食看護?・・・?両村告状?村吏護送之鹿児島?・・・?其国米国政府深徳我待源民之厚賜岩坪古田両人賞?各一個及金各二十五??更恩所以酬両村人民者我明治二十二年三月間之其国会議決?贈米金五千?於両村人民以酬??我外務省?之鹿児島縣知事渡邊千秋千秋使熊毛郡長?高?三折半其金分典両村各買整?公績証書以為共有年以?・・・?於其用之?其℃ァ米国政府之徳義亦足以不朽其為村民?深旦遠?以所係者大也村民相謀欲??由干石以使子弟一人?其徳迄乞予文?日希代之?・・・?者也及不?以我其頌末係之以辞白
?・・?際之?所係非?我
皇有訓維民??災??恤
?系同情労微??貝彼?誠
永受其?育我郡長
明治廿三年五月一日 平山寛蔵撰

碑文は以上です。文章の中で、読み違いもあるかもしれません。ご了承ください。
記念碑の右前に、現代文で説明が書かれているので簡単に紹介します。

「明治十八年九月二十日午後十時ごろ、イザリ漁に出ていた古田貞吉が、米国商船カシミヤ号の遭難した乗組員五人を救助した。村人から集めた着物や食べ物を与え看護し、翌日、馬五頭で西之表へ送って分かれた。そしてお礼として、紙幣や水差し、ピストルなどを置いていったが、紙幣は返したという。乗組員が帰国後、この事件は、米国議会に知らされ、感謝の意として、安城と伊関に五千ドル(当時6,641円)が贈与された。そして、両部落は、感謝の意に沿うように校舎の増築や第一勧業銀行の株券を得た。それ以後、伊関では奨学会が組織されこの基金で教育に貢献してきた。そのおかげで種子島で第一号の鉄筋校舎も建てることができている。その後、五千ドルの贈与に感謝の意として紀徳碑を建立した。」
 以上です。

県道581号線伊関小学校前

県道581号線伊関小学校前です。↑国上・喜志鹿崎灯台、↓安納・西之表。紀徳碑は、この前方右にあります。

紀徳碑

写真は、紀徳碑周辺を撮影したものです。紀徳碑は、安城小学校にも設置されています。

米国商船カシミヤ号乗組員救助に関する記念碑の案内パネル

写真は、米国商船カシミヤ号乗組員救助に関する記念碑の案内パネルです。内容については、上記の通りです。

2014.3.1〜