移住百周年記念之碑&移住記念碑

移住記念に関する碑

移住百周年記念之碑&移住記念碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市伊関柳原集会施設
【撮影日時】
2007年7月25日/11時05分

西之表市伊関校区の柳原集会施設の裏にこの記念碑があります。左が移住百周年記念之碑、右が移住記念碑です。まず、移住百周年記念之碑の碑文は、次のとおりです。

移住百周年記念之碑
      昭和六十一年四月十五日
    住民一同建之

碑文
明治十六年より三か年に亘り甑島に襲来せる台風の言語に絶する惨状を機に出郷せし十九戸が明治十九年四月十五日この地に移住しさらに後の移住者と共に幾多の困難を克服して荒蕪地の開拓に挑み生活基盤確立に粉骨砕身の努力を重ね漸次安定の途を辿り遂に今日の極楽郷柳原が形成されるに至る此等幾多の艱難辛苦に耐えひたすら愛郷の志に燃え今日を招来せし先祖に対し深く敬意と感謝の念を表す我等この地に生育せる地域住民は移住百年を興気躍進の契機として愈々団結協力融和の決意を新たにし郷土の大いなる発展を誓うと共に未来永劫隆盛無窮たらんことを祈念す 住時を追憶し誠に感慨無量なるを覚えここにその真情を偲び総力を結集して移住百年の記念碑を建立し千載に伝えるものなり
     昭和六十一年四月吉日
        柳原地区住民一同
           元伊関小学校校長
               日高三善撰之

次に、右の移住記念碑の碑文は次のように刻まれています。

 移住記念碑
明治十六年ヨリ参箇年ニ亘リ襲来セル風台風ハ近世稀ニシテ其範囲頗ル廣ク甑島其ノ災害ヲ豪ルコト最モ大ナリ田畑ノ流失家屋ノ倒壊相次ギ衣食ノ窮乏ニ加フルニ心疫流行シ其ノ惨状言語ニ絶ス於茲當時ノ鹿児島縣知事渡邊千秋氏ニ懇願シ仝拾九年四月住民相連レテ種子島ニ移住スルコトナレリ當時熊毛郡事務所長牧野篤好氏甑島戸長橋口武志氏北種子戸長上妻謙三氏伊関世話係池亀新六氏ノ盡力ニ依リ此ノ地ニ居ヲ構フルニ至レルモノ戸数拾九ナリ?来五十弐年幾多ノ困苦ト戦ヒツツ荒蕪ヲ開拓シテ遂ニ今日ノ極楽郷柳原部落四十八戸ヲ形成スルニ至ル往時ヲ追憶シテ感慨更ニ新ナルモノアリ己ニ部落民ノ中ニハ本年三月祖先ノ地甑島ヲ訪問シテ慰霊祭ヲ行フアリ今又?リテ移住記念碑ヲ建設シ之ヲ録シテ後世ニ傳ヘントス
          昭和十二年九月
            熊毛支庁長 江口義照書

碑文は以上です。文章の中で、?は判読できない文字、或は変換不可能な文字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。

県道591号線柳原研修施設前

写真は、県道591号線柳原研修施設前です。↑伊関・安納、↓国上です。移住紀念碑は、これより右柳原研修施設内にあります。

移住記念碑

写真は、移住記念碑です。昭和20年9月に建立されたものです。移住に至った経緯が刻まれています。

移住百周年記念之碑

写真は、移住百周年記念之碑です。昭和61年4月に建立されています。碑の両サイドに、移住した名前、碑文などが刻まれています。

2014.3.7〜