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郷土医療に尽力された医者どんたち

種子島開発総合センター(鉄砲館)は、開館30周年を迎えています。平成26年6月22日(火)、開館30周年記念特別展で、「種子島の医者どん展」の特別展示を撮影させていただきました。

鉄砲館では、6/6(金)〜7/17(木)まで特別展示を行っています。特別展示は、入場料は無料となっています。鉄砲館で直にご覧になってはいかがでしょうか。

種子島の医者どん展を写真と動画で紹介しています。

なお、種子島の医者どん展の詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。

種子島の医者どん展

昔、漢方医の教科書に「傷寒論」という本が大陸から伝わりました。また、唐の高僧・鑑真が753年(奈良時代)に鹿児島の笠沙に上陸して都へ行き、唐招提寺を建て、また、医学、産業、文化にも尽力しました。その遺著「鑑上人秘法」は、病気の治療に役立ったとされています。

古い昔、種子島には朝廷から医者が交代で来て、島の人の治療をしたことがあり、江戸時代までは漢方の医学がほとんどでした。

両手切り・きざみ台・茯苓・乳鉢・乳棒

両手切り、きざみ台、茯苓、乳鉢、乳棒です。きざみ台の上で、漢方薬を両手切りできざみ、乳鉢で細かくすり潰していました。磁器製の鉢です。写真右下は、茯苓という漢方薬の材料です。サルノコシカケ科のマツホド菌の菌核を乾燥し外皮を除いたものです。伐採されたアカマツやクロマツの根に寄生し、地中深さ20〜30センチに塊状の菌核を形成。利尿作用、健脾、滋養、鎮静、血糖降下などに効果があるとされています。

ブクリョウ刺し

ブクリョウを採取するときに使う道具です。その奥は、調剤用のツボです。

傷寒名数解

傷寒名数解です。中西新斎著1774年。全5巻。傷寒論は、後漢末期から三国時代に張仲景が編纂したといわれる伝統中国医学の古典です。

印籠

「印籠」です。江戸時代、薬を携帯するために、腰に下げて使用された。

痘局便覧

種子島の漢方医である柳田泰庵が、先祖代々及び自分の経験から考察された痘瘡(天然痘)の治療法を記した「痘局便覧」です。これは、平成7年に河内一郎氏が寄贈したものです。

河内氏は、大正14年1月17日生〜平成3年2月13日没、東京生まれ。ご両親が西之表市小牧の出身。昭和24年、日本医科大学卒業。同大学病院耳鼻科助手。昭和36年、帰島、内科、耳鼻科医院開設。昭和49年、熊毛地区医師会長(没年まで)。特に、島の特産品として声価の高い「能野焼」の復活に尽力しました。

上妻慎吾医師です。上妻氏は、嘉永6年(1853)6月1日生〜昭和3年(1928)4月25日没。種子島の東岸安城下之町生まれ。明治8年、近代医学を研究すべく、鹿児島医学校、英国人医師ウィリアム・ウイリスに師事し、西洋医学の手ほどきを受ける。明治9年には、内務省より内科、外科、眼科、産婦人科の免許状を受け、その後、西南の役では救急看護に奔走。明治14年、28歳の時に帰郷し安城に診療所を開設。昭和3年、75才で逝去するまで50年近く安城村上妻医院で診療を続けた。

困学穴法

「困学穴法」です。出版は、天保の上梓となっているので、1830年代に発刊されたもの。江戸時代に鍼灸の参考書として使われていた。絵がたっぷりあり情報量が多かったのが特徴。

春林軒・丸散便覧序、秘薬方

「春林軒 丸散便覧序」(写真下)と「秘薬方」(写真上)です。「春林軒」は、江戸時代後期に活躍した華岡青洲(世界に先駆け全身麻酔手術を施行した外科医)の医学塾。本書は、丸薬・散薬の使用法に関する便利帳の写し。「秘薬方」は、漢方薬の調剤レシピを記したものです。

上妻慎吾医師が使用した西洋医学の教本

上妻慎吾医師が使用していた西洋医学の教本です。著者は、ベンジャミン・ホブソン。中国に初めて西洋解剖学を伝えた「全体新論」が有名。ホブソンの著作は、幕末から明治初期に日本に伝わり、日本医学に影響を与えた。

明治36年の処方箋

市立鹿児島病院の明治36年の処方箋です。

正露丸の箱

正露丸の箱です。

配置薬の注文票

「富山の薬売り」などが有名な江戸時代から続く配置薬の注文票です。大正時代のものです。

ヂフテリア予防注射通知書

昭和16年のヂフテリア予防注射通知書です。

乾燥ヨモギ

ヨモギを乾燥させたものです。ヨモギは、万能の漢方薬として昔から使われてきました。

種子島の毒蛇

種子島の毒蛇です。マムシ、ヤマカガシです。マムシは、昔から毒を持ったヘビとして知られていましたが、ヤマカガシは、地元では「カラスヘビ」と呼び、毒を持っていないと聞いていたものです。しかし、近年になって、ヤマカガシは特に、猛毒を持っているとテレビなどで知りました。写真左は、ヤマカガシ。中央と右はニホンマムシです。いずれも西之表市で捕獲されたものです。

上妻慎吾医師
上妻医師が作成した死亡診断書

上妻医師が作成した死亡診断書です。

井元正流先生

井元正流先生です。井元先生は、第6代〜第8代西之表市長で郷土研究家でもあり、西之表名誉市民です。大正2年(1913)5月28日生〜平成20年(2008)7月8日没。昭和11年東京医学専門学校(東京医科大学)卒業後、東京で病院勤務。昭和18年(1943)〜20年(1945)応召、近衛騎兵連隊付軍医。昭和21年帰郷し医院開設。昭和26年〜30年西之表町議会議員。昭和36年〜47年西之表市教育委員会教育委員長。昭和48年〜60年西之表市長。在任中、種子島開発総合センター(鉄砲館)を建設。

井元先生が出版した郷土史

井元先生が出版した郷土史です。現在でも多くの人が参考書として利用されているものです。写真左より、「種子島」、「種子島今むかし」、「種子島人列伝」です。

馬場愛子先生

馬場愛子先生です。夫亡き後も種子島に残り、医療のほか、社会福祉、政治、教育などに貢献。明朗幼稚園初代園長。明治24年(1891)8月26日生〜昭和43年(1968)2月25日没。滋賀県伊香郡安土村の医師一家に生まれ、大正12年32才のとき東京女子医専卒業。大正13年、奇しくも同性の中種子町出身の馬場農夫男医師と結婚し、西之表市東町に開業。昭和15年、外来治療の傍ら看護していた夫が亡くなり、子供がいなかったが種子島の留まり東西奔走した。終戦後、軍馬を払下げて1〜2時間かかる距離でも馬で往診した。

オランダ鞍

その馬に付けていた鞍です。オランダ鞍です。

最上宏先生

最上宏先生です。第2代西之表市長です。島の大事な作物「落花生」栽培を奨励した人物です。明治16年(1883)10月26日生〜昭和36年(1961)5月4日没。明治40年長崎医学専門学校(長崎大学医学部)卒業。同年上京し、東京帝大医学部選科に籍を置く。明治43年帰郷し開業。診察費の支払いもままならない島の貧困を放っておくにはいけないと思案したのが、鹿屋地方の落花生栽培です。約3400リットルの種子を入手し、「収穫の時に二倍にして返せばよい」と現和区民に栽培奨励し、のちに島の代表的な作物になった。昭和21年〜26年西之表町長。昭和34年〜36年西之表市長。

最上先生の著書

最上先生の著書です。「日本食糧史考」上・下巻です。

昭和38年医師会、保健衛生課の忘年会の写真

最後の写真は、昭和38年医師会、保健衛生課の忘年会の写真です。河内先生、馬場先生、井元先生が出席されています。

※ 2014年6月22日(日)、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)において、特別展示の「種子島の医者どん展」を撮影したものです。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島の医者どん展〜種子島開発総合センター(鉄砲館)開館30周年記念特別展

【撮影場所】
鹿児島県西之表市西之表種子島開発総合センター(鉄砲館)
【撮影日時】
2014年6月22日(日)/13時00分〜15時00分
2014.6.22〜