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種子島には30種類のめんこうがいる

種子島開発総合センター(鉄砲館)は、開館30周年を迎えています。平成25年9月7日(土)、開館30周年記念特別展で、種子島の「めんこう」展の特別展示を撮影させていただきました。

種子島では、妖怪のことを「めんこう」と呼んでいます。その種類は、実に30種類に達するといわれています。めんこうの出現場所などが展示されています。期間は、7/27〜9/24までの二か月間です。ぜひ、足を運んでみてください。

種子島の『めんこう』展を写真と動画で紹介しています。

なお、種子島の『めんこう』展の詳しいことは、種子島開発総合センター(鉄砲館)(0997-23-3215)へお問い合わせてください。

トシドンのかぶる面

写真は、トシドンのかぶる面です。手前二つは、野木平集落のトシドン、右は鞍勇集落のトシドンが被る面です。

めんこうの「めん」という言葉は、古代中国から舞楽が伝来したときに使われていた「面」ではと考えられています。しかし、種子島では、地域の芸能や年中行事で被った仮面に由来することばであったと考えるのが身近であるとされています。

種子島の『めんこう』展

種子島の『めんこう』展です。

モーガ

モーガです。モーガとは、牛や馬に引かせて田畑の土を砕く道具で、「河太郎の日魚」に出てくる民具です。

ガラッパ

ガラッパです。種子島では、さまざまな姿をした河童を目撃しており、容姿や特徴に色々な言い伝えがあります。河童は、身近な存在で、地域によっては、ガラッパ、ガラッパジョウ、河太郎、サイロク、三ッツどんなどと呼んでいます。

ガラッパの特徴として、
@相撲が大好きで、小さいけれどなかなか強い
Aいたずら好き
Bしんご(尻、尻のす)を抜く、抜かれると死ぬ
C頭の上に皿があり、乾くと弱る
など、そのほかにもいろいろあります。

ガラッパが出現する場所

ガラッパが出現する場所などをまとめたものです。@甲女川の「ガラッパジョウと岩立様」A甲女川の「河太郎と日魚」B甲女川の「河太郎」C「石寺浜の河童」D「現和のガラッパ」E「安城の黒い毛のかっぱ」などです。

河太郎の日魚

「河太郎の日魚」のひとコマです。「河太郎の日魚」とは、簡単に要約すると、ある年の大雨で、甲女川があふれ甚吉じいさんのところへ河太郎がやってきます。「穴の口に引っ掛かったものを取り除いてほしい」と頼み込みます。そして、甚吉じいさんが了承し、河太郎は喜びます。そのお礼として、毎朝、魚を取ってきてやると約束します。しかし、そのことを誰にも言わないでほしいと約束をします。その後、じいさんの小屋の壁に大きな魚がかけられるようになります。じいさんは、嬉しくなって、ついつい、このことを人に喋ってしまいます。それからというもの、魚は届けられなくなります。じいさんは、約束を守らなかった自分が悪かったと思い、丘に石を立てて河太郎をまつり、水天宮として守ったといいます。現在でも甲女川沿いに残っています。

魚やえさを入れる篭として使われるビク

腰に下げ、魚やえさを入れる篭として使われるビクです。これは、宝満の池に出てくる民具です。

かっぱの出没マップ

かっぱの出没マップです。種子島では8か所あり、西之表市甲女川3か所、現和、安城、石寺浜、中種子町では屋久津、南種子町では宝満の池です。

種子島におけるヌレヨメジョウ

種子島におけるヌレヨメジョウです。ヌレヨメジョウとは、女の幽霊、お化けの総称でもあります。

ヌレヨメジョウ

ヌレヨメジョウの呼び方は、ヌレヨメジョウ(濡れ嫁女、ヌリヨメジョウ(塗り嫁女)、ムレヨメジョウ(ムレ=山、森の嫁女)などです。容姿として、@髪の長い美女A塗り嫁女は、真っ白に化粧した美女B濡れ嫁女は、洗い髪をたらぁっと前に垂らし、又は髪をふり乱した美女などです。特徴は、何も言わずにただニコッと笑って立っているだけ、雨の降る夕方に出る、見ているうちに消えていく、子供を抱いていて褒美をくれることなど色々ほかにもあります。

ヌレヨメジョウの出没マップ

ヌレヨメジョウの出没マップです。西之表市では、浦田、奥神社、湊、石寺浜です。中種子町は野間です。

そのほかのめんこう出没マップ

そのほかのめんこう出没マップです。西之表市で8か所、中種子町で2か所、南種子町で2か所です。

その他のめんこうの種類を示したもの

その他のめんこうの種類を示したものです。幽霊船、種子島・屋久島の鬼、天狗、もんにょう石、血染めの石、風本神社の女の子、火グワンス、犬神、チョカメン、目一つ五郎、一里十町の幽霊など多種多様です。

船幽霊

浦田や湊に言い伝えが残っている船幽霊です。船幽霊は、航行中の船に沿って、出現し、船の中の水をくみ出すひしゃくを貸せと言い出します。うっかり貸してしまうと、水を汲みいれられ、船が沈んでしまうので、あらかじめ用意しておいた穴の開いたひしゃくを貸すのだという。そうすると、消えてしまうらしい。

一里十町の幽霊

一里十町の幽霊です。ある日、与作は、夜遅くまで飲み、国上方向へバイクで帰る途中、バイクが動かなくなり、押して帰ろうとした時、一里十町付近で、白い幽霊が出て、走って逃げようとするが、思うように逃げられず、やっとの思いで、帰り着くと、背中に「ありがとう。遊んでくれて」という紙が貼られていたという。

「犬神」に出てくる武具の矢

「犬神」に出てくる武具の矢です。「犬神」(インガミ、イリガミ)とは、昔から恐れられていた生き霊で、さまざまな病や災厄を招くと考えられていました。犬神は、火や便所を嫌い、霊が宿ったときは、僧侶に頼んで、落としてもらったり、種子島家一族の弓の師範家による独特の弓術で、お祓いを行ったりしました。現在でも、毎年1月11日、栖林神社で大的始式は、その厄払いです。

目一つ五郎という幽霊

目一つ五郎という幽霊です。花里崎から国上野木平に行く途中のサルシの坂は、めんこうが出るところで恐れられています。ある日、状持ちが夜中に通ったら、「わごう、どけぇ行くか。よろうて行こうわい」といって、状持ちにぴたっとついて来たそうな。後ろを振り返ってみると、ピカッと光る目が一つの目一つ五郎だったという。

天女ヶ倉神社の巨石

安納にある天女ヶ倉神社の巨石は、天狗が運ぶ途中だったとか。天狗の足跡といわれる手水鉢が今でも残っています。

安城平山の県道沿いにある赤い岩山は、天狗が運ぶ途中ロープが切れて、この地へ置いたものだという。その岩山には、ロープの痕跡が残っているといいます。

天狗

天狗を描いたものです。

風本神社の女の子

風本神社の女の子です。風本神社の境内では、月夜になると、女の子が遊んでいたり、女の子が泣き出したりするという。

風本神社の女の子

写真は、その女の子です。

血染めの石

血染めの石です。安城の安姫と納曽の士族、河野又四郎は、恋仲になったが許されず、安姫は殺され、悲観した又四郎は自害します。安姫が、殺された場所は、川石が血で染まったかのように赤くなっているという。村人たちは、二人の亡霊を鎮めるために岡山神社を建てています。

又四郎と安姫

写真は、又四郎と安姫です。

種子島の鬼、屋久島の鬼

種子島の鬼、屋久島の鬼です。昔、種子島の鬼と屋久島の鬼は、仲良く住んでいましたが、そのころ、種子島と屋久島は大変仲が悪かったのです。その仲のよかった鬼を捕えて首を切り落とし、その首は海に据えて見せしめにしました。それから、何年かたったあと、その首を置いた場所に、鬼の形をした岩ができたという。寄り添う二つの岩を、いつしか、夫婦岩と呼ぶようになったとか。現在の雄龍・女龍の岩のこと。

ちょかめん

ちょかめんです。ある日の夕暮れ時、次郎ざぁは、上中から島間へ帰る途中でした。坂の途中に黒ぢょかが落ちていました。その黒ぢょかを土手に上げようとした時、黒ぢょかは坂の上へ向けてごろごろ転がり出します。次郎ざぁは、びっくりしましたが、話に聞いていたちょかめんのことだと思いました。このちょかめんは、人と会うと必ず坂を上るといいます。ちょかめんは、西之表市下西の市営プール付近でも出るといわれています。急須の形をしたお化けです。

ひょうたんめん

種子島に伝わる「ひょうたんめん」のお話です。ある日、乙次郎孫次郎は、馬を引いて塩を買いに行きました。その帰り道、ひょうたんめんが出るという噂の山道の差しかかったとき、ひょうたんめんが「おーい、乙次郎孫次郎に、塩と馬を食わせろ」といいます。食べ終わった後、自分が食われると思い、岸辺の松の木によじ登ります。ひょうたんめんが探しており、川に写った乙次郎孫次郎の顔に向かって、ひょうたんめんが突進します。その姿を見て笑った乙次郎孫次郎にひょうたんめんが気づき近寄ります。その隙を見て、腰にさしていた鉈でひょうたんめんがつかまっているカズラを切り、ひょうたんめんが腰を打ってしまいます。

ひょうたんめん

乙次郎孫次郎は、ひょうたんめんをつけて行きます。そして、自分の家に帰ったひょうたんめんは、風呂に入り、その隙を見て、乙次郎孫次郎は、風呂の蓋を大きな石で抑え、火をどんどん焚いて、ひょうたんめんを赤く茹でてしまいます。そして、ひょうたんめんの家にあった宝物を持ち帰り、安楽に暮らしたといいます。

深川のめん踊りの面

深川のめん踊りの面です。猿の面です。深川のめん踊りは、いつのころから始まったのかはっきりしないけれど、歌詞から考えると、江戸時代初期といわれています。踊り子の腰に、ひょうたんをつけているので、ひょうたん踊りとも呼ばれています。昔は、各家の長男だけが踊ったとされ、ほかには踊らさせない慣習があったとか。

ヨンシー踊り

ヨンシー踊りです。ヨンシー踊りは、18世紀ごろの江戸時代に、現和庄司浦の船乗りたちが、琉球で習い、その後、現和庄司浦で踊り始めたものです。木遣り歌「国頭サバクイ」の流れをくむものとされています。

トシドン野面

トシドンです。「トシドン」は、鹿児島県甑島に伝わる、秋田県の「なまはげ」にも似た年越し行事です。このトシドンは、種子島にも伝わっており、明治時代に甑島より移住した国上野木平集落と下西鞍勇集落にだけ残っているものです。

※ 2013年9月7日(土)、西之表市種子島開発総合センター(鉄砲館)において、特別展示の「種子島の『めんこう』展」を撮影したものです。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

種子島開発総合センター開館30周年記念特別展〜種子島の『めんこう』展

 
【撮影場所】
鹿児島県西之表市西之表種子島開発総合センター(鉄砲館)
【撮影日時】
2013年9月7日(土)/12時50分〜15時21分
2014.3.1〜