部落創設・移住記念に関する碑
ここは、西之表市古田校区の上之町地域です。上之町公園には、部落創設紀念碑、移住百周年を記念して記念碑が建てられています。その記念碑に刻まれている碑文は次のとおりです。
部落創設紀念碑
此地昔は深山と茅野にして猿鹿等の棲みし所なり偶を明治十七八年甑島に於け る台風の被害は遂に大飢饉となり島民は縣甑島移住事務所の斡旋に依り明治十 九年四月下甑出身の十戸当地に移住開拓の第一歩を印せしなり当時の古田村戸 長榎本新吉氏を始め区民各位の親身も及ばぬ歓迎と助力を受け慣れぬ異郷の地 に幾多の艱難苦労と奮闘努力の結果遂に今日の上之町部落の基礎を築きしなり?来六十有餘年今や戸数三十二地味豊に安住するに至れるは是れ全く開拓者の 賜物なり茲に部落民一同碑を建て芳名を刻してその偉業を讃え永く子孫と共に 感謝報恩の標示と為さんとす
上山彦右エ門
上山長太郎
江口嘉七郎
小川庄市 部落民一同建之
橋口喜三次
橋口隼二 撰文弁書
橋口仁平衛 佐藤放順
山内甚助 刻 花木富哉
吉永宗一郎
松田えだ
昭和二十八年三月十五日
移住百周年記念碑
明治十三年より数年に亘り甑島に襲来せる台風の言語に絶する惨状を機に渡辺県政の移住推進策に従い明治十九年四月この地に十戸が移住したことを安住の地と定め生活基盤確立のため人類未踏に等しき山野の開拓に着手せり更にその後他地区よりの移住者と共に幾多の苦難を克服しひたすら望郷の念にかられつつ一致協力し生活環境を確立せし先祖の偉業に対し深く敬意と感謝の念を抱くものなり元来吾が先祖は全戸浄土真宗の信徒で形成され稀に見る信仰厚き集落であり移住の際ゆずり受けし御影像(ミエイゾウ)を公民館に安置し現在に至るも継承し学童に依(あゆみ会)が結成され信仰心の伝承と共に心身の健全なる児童育成につとめるものなり吾等この地に生をうけ今ここに移住百年を契機とし心を新たに健全で明るい人情味溢れる豊かな郷土作りのため住民四十三戸一二七名一致団結相互扶助のもと未来永勤飛躍発展せんことを念じこの碑を建立し子々孫々に伝えんとするものなり
昭和六十一年四月吉日
上之町町民一同
上之町出郷者一同
百年のあゆみ
明治一九年 甑島より当地に十戸移住
〃 二〇年 十軒長屋失火のため全焼
昭和 二年 種子島水力発電所古田に新設送電開始当地にも点灯
〃 七年 公民館建設総工費五百円
浄土真宗大谷派萬徳寺小寺とし作影像を安置する
〃 一五年 葉タバコ生産始まり共同乾燥場建設
〃 二八年 部落創設記念碑建立
〃 三五年 地域内市道改良工事着工
〃 三九年 台風二〇号被害、公民館倒壊再建
〃 四一年 団体営農地事業(古田地区パイロット事業)着工
面積四四ヘクタール
総工費参千六百六拾壱万六千円
主幹作目ポンカン植栽
〃 四二年 上之町番屋峯線新設改良工事着工
〃 五一年 墓参道拡巾改良、運動公園造成
〃 五二年 地域内市道舗装完成
〃 五四年 墓参道生コン舗装
〃 五七年 第一回運動会兼敬老会実施
〃 五八年 旧墓地を納骨堂に改築 上之町墓地と称す
〃 六〇年 墓苑斉場(休憩所)建設
〃 六一年 百周年記念事業
一、公民館建設(建替)
一、記念公園造成
一、移住百周年記念碑建立
上之町概要
全世帯数 四三世帯 人口 一二七名 男六一名 女六六名
耕地面積 四一九五アール
果樹園 四〇二アール 畑 三〇九七アール 田 六九六アール
碑文は以上です。なお、碑文の読み違いがあるかもしれません。
※ 西之表市古田上之町公園に建立されている部落創設・移住記念に関する記念碑「移住百周年記念碑」、「部落創設紀念碑」の石碑を紹介しています。この動画の中には、県道76号線上之町へ通じる入口付近、古田下西線鞍勇上之町へ通じる入口付近、公園前通り、公園入口付近、部落創設紀念碑・移住百周年記念碑」の碑文及びその周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。
なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。