創設百周年記念之碑・紀念碑

移住記念に関する碑

創設百周年記念之碑・紀念碑
【撮影場所】
鹿児島県西之表市下西鞍勇
【撮影日時】
2007年9月29日/12時58分

 ここは西之表市下西校区鞍勇地域です。西之表市街地から川迎を経由し市道を南下すること約6分で集落につきます。市道近くの運動場に記念碑があります。移住記念碑は写真のものとその奥に大正二年三月に建之されたのもあります。記念碑には、正面に創設百周年記念碑、碑の裏側に建立した年月が刻まれております。記念碑前の碑文は次のように刻まれています。

 創設百周年記念之碑
 昭和六十一年十月吉日建之
わが村は、明治十九年(一八八六)薩摩郡甑島より、打続く自然災害を逃れ、新天地を求めて、此の地鞍勇に、農業を生計とする七戸の先駆者達に依って開拓の鍬が下され、安住の地として誕生、以来各地より移り住む人も多くその間、国、県、郡、村(町・市)
の方々の温情と援助に育まれ、先駆者達の艱難辛苦の結晶と先輩達の偉業継承に依って、今日、戸数、四七戸、人口、一四九名、の隆昌を見るに至る
昭和二十年を節目として回顧するに、昭和十九年第二次世界大戦に於て、尊き生命を国に捧げられた。下江清美、成清道徳、山口政雄三氏の冥福を祈り、昭和三十年衆議院選挙に於て、吾村より立候補された、有馬輝武氏が種子島初の国会議員として当選、村民一同の誇りとし励みになる。
昭和三十二年度後進村の代名詞、陸の孤島とまで云われた吾が村に、入植七十一年目にして久しく待望の文化の灯が点る。此の日村民感激も一人今だに忘れ得ず、これより家庭電化が進み、いつしか聞き馴れし陸の孤島と云ら言の葉もうすれ文化生活への途が開かれた。昭和四十三年度 公民館老朽化に依る建替え、昭和五十年度には陳情により四年間に亘る正泉坊農道改良舗装工事が完成。昭和五十九年度、市道下西・古田線の舗装完通と道路網の整備に伴い、百周年記念事業の一環として、篤志家の用地寄贈に依り、昭和五十八年度運動公園の拡張(建業後三年目)
昭和六十年度には長年の懸案であった共同墓地の建設(提案後十年目)等と村民一同の力を結集して、集の場を設け産業経済発展の道とし、憩いの場とし、先祖の霊を祭る場として事業を進め、遅々として脱却することの出来なかった後進性から一歩前進の感あり、ここに百周年を迎えるに当り先駆者、先輩達の労苦を偲び、関与された全ての方々に対し喪心より感謝の意を捧げると共に、先駆者達の遺業を継承して、村の限りなき発展と平和のために努力することを誓い、百周年を祈念すべくこの碑を建つ
昭和六十一年十月吉日(一九八六)
村民一同建碑

 次に、右奥の紀念碑の碑文は次のように刻まれています。

 紀念碑
明十七??夏初?甑島移于此地也戸僅七炊?稀小難苦相冷而堪貧数年専務忠事傍販薪炭于市勉焉?怠遂全生計日清日露戦役出軍人中野周右衛門等得伍世人幸有適?地而移居者亦今戸数十有八各有畑山林数十町歩他目為有望之地可期焉
大正二年三月建 鞍勇町

                牧瀬権右衛門
香川縣三宅宗八     中村太三次
大分縣三枝健佑     西庄之助
熊本縣山越力松     山内平兵衛
熊本縣山口村吉     橋本仁三次
鹿児島縣小野源宇    山内覚次郎
鹿児島縣宮田庄市    森 清吉   
      牧瀬清次    中村太七
      牧瀬良助    地蔵勇吉
                中村六助
                横道七次郎

 碑文は以上です。文章の中で、?は判読できない文字、或は変換不可能な文字です。また、碑文の読み違いがあるかもしれません。

※ 2020年(令和2年)3月2日(月)に取材した西之表市下西鞍勇広場付近に建立されている移住記念に関する記念碑「創設百周年記念之碑」、「紀念碑」の石碑を紹介しています。この動画の中には、市道古田下西線鞍勇広場に通じる入口付近、広場付近前通り、広場風景、創設百周年記念之碑・紀念碑及び鞍勇部落誕生百年記念鞍勇部落共有地寄贈之碑の碑文その周辺の風景を収録しています。なお、碑文は字幕で本文を流しています。

なお、YouTubeでのアドレスとタイトルは次の通りです。

創設百周年記念之碑・紀念碑 西之表市下西鞍勇広場付近に建立 - 種子島の記念碑

2014.3.7〜